2017,11,20, Monday
このところ意外なことに遭遇し、日々驚いているところですが、本日は過日讃岐のうどんについて取材にいらしたライター萬谷純哉さんから、「屋島山上で「あなご飯」を一緒に食べませんか」と誘われて、多くを聞かず二つ返事でこれに答えました。源平の里屋島は、有料道路が無料となり、土日祝日を中心に大勢の人が来るようになったと言います。
とは言いながら私は、屋島山上のホテル旅館群の隆盛期を体験しているもので、「屋島のあなご飯」と言われても正直なところ彼につきあう程度の認識で山上の駐車場に、約束の時間を2分遅刻で到着しました。2分の遅刻といえども遅刻したという現実は、人の心を動揺させるものです。財布を車に残して、店へ入ってしまいました。 実はここ「桃太郎」は、今でも予約客で特に週末は来年の予約まで入っている旅館だというのです。「えぇまさかここは屋島だよ」、私は思わず口にでそうになった言葉を飲み込んだ。その秘訣は、「ペット専用旅館」、つまり「ペット可」ではなく、「ペット同伴専門旅館」だそうです。部屋も見せて貰いましたが、瀬戸内海が一望できるワイドビュー。豪華なしつらえがされています。 特にこのあたりは、広く知られた「瀬戸に沈む夕陽の名勝」なのです。それを、大好きなペットと楽しめる香川県下唯一の旅館です。犬に夕陽の何かが分かるとも思えませんが、見事な眺望です。旅館と言いながら寝具は、大型ベッドです。空間はリフォームがされていて、ここだけ見ていると、新築物件のようにも見えます。 3つある部屋の広さが80㎡近くあることから補助的に、ふとんも用意されています。築後推定70年の建物で、その昔は修学旅行や瀬戸大橋開通観光ブーム、また隣県の阿波おどりの見学客まで宿泊させたとか。宿泊部屋は3部屋で、その他は食事専用の部屋にしています。丁寧な食事を出すには、このくらいの人数が限界だそうです。 私も40年ほど前に、全国消防職員アマチュア無線家の全国大会など、タウン誌の取材でこの地の大型ホテル「甚五郎」等に宿泊したこともありましたが、「桃太郎」は存じ上げていません。特に昨今の人気旅館であることも、恥ずかしながら知りませんでした。それに宿泊費も2.5万円/人以上というので、2度3度ビックリ。食事も息子さんが元京都割烹の板場さんだったそうで、昼食の「あなご飯」も美味しかった。 ペット専用旅館の発想を、女将の浜田領子さんに訪ねました。「盲導犬を連れたお客様が来たことがきっかけ」と、その頃のことを思い出しながら、丁寧に説明して、部屋の案内もしてくれました。知らなかったこんな宿、私の家にはペット(かみさんは私が手のかかるペットだと言うが)がいないのですが、それでも宿泊できるそうです。 ここをクリック |
2017,11,18, Saturday
明日から開催の育樹祭の併催行事として、東かがわ市ベネッセおおちイベントホールで、「育林交流集会」が開催されました。「森林(もり)を使い、森林(もり)を守り、そして地域の未来へ」と副題がついています。基調講演は、藻谷浩介氏の「里山資源の活用による地域の活性化」となっていましたが、里山には触れない話が多かったと思います。
しかし私は、里山だろうが日本全体のことだろうが、そんなのは関係なく、藻谷浩介氏の話が聞きたかったので行った次第です。と言うのも過去に、花樹海のオーナー三矢昌洋さんから藻谷浩介氏の人となりを聞き、本を頂き読んだことがありました。 その時の印象はズバリ、「統計数字の虫」でした。今日もスクリーン数字を打ち出しています。まず「〇〇年に比べて殺人が増えたと思う人はパーを、減っていると思う人はグーを出して」に始まり、会場400名ぐらいの聴講者を寝かせません。この後もいくつかの質問があり、寝ていた人は起こされました。 藻谷浩介氏は、「イメージに騙さされるな」と言うのです。最近は極悪非道の殺人事件が増えていますよね。だけど統計からは、殺人者の数字は減っています。因みに刑務所へ入る囚人の数も、ここでは話題になりませんでしたが、新聞報道では減っているのです。ただし65歳以上の再入所者は、増えているようです。出ても就職口がままならない? また面白かったのは、人生を野球のイニングスに合わせて、5回裏が50歳、私の65歳は7回表、9回裏は90歳、この後延長戦もあります。人生今からが面白いのです。 |
2017,11,17, Friday
文化庁は15日、2017年度地域文化功労者文部科学大臣表彰の受賞者を発表した。香川県では、彫刻家で水彩画家の萬木淳一氏(81)=高松市植田町=が受賞した。萬木淳一氏は、彫刻家と水彩画家として多年にわたり創作活動に取り組み、香川県美術展覧会や二科展などで活躍するとともに、竜雲中や高松一高の教諭として後進の指導育成にも努めてきた。
また、香川県美術家協会副会長や水彩連盟香川県支部長などを努めるなど、香川県の美術界の向上発展に寄与した。2012年に、香川県文化功労者表彰を受けている。大臣表彰は、芸術文化の振興や文化財保護などで、地域文化の振興に貢献した個人や団体を表彰する制度。本年度は全国で97個人・団体を選んだ。表彰式は22日に東京で行われる。 さらに萬木淳一氏は、平成乙女の像の作像に3年前から携わり、既に新像はFRPで完成し、一部の手直しとこれからブロンズ像にするための工程を残すところまでこぎ着けている。募金もここへ来て、頂上が見え隠れするところまでたどり着き、一気呵成に完成を願って確実に進んでいます。 平成29年11月17日現在、募金総額は4,844,027円(155個人団体)で、これまでに使用した原材料費等は2,913,222円であります。予定ではざっとこれからの募金目標は200万円、平成30年3月までには募金活動は完了する予定です。 平成乙女の像募金窓口の「特定非営利活動法人仏生山魂再開発フォーラム」から、萬木淳一氏への特別なプレゼントはありませんが、計画が成就するのが大きなプレゼントと考えています。そうは言いながら私は、地元ひぐちの和三盆ロールケーキを手土産にして、祝意と経過報告をして来ました。 さらに高松一高美術部卒業生からの支援も始まり、これからが大切な時期だと考えています。私は乙女の像を見て育ちました、毎日無事に生活してきましたという人から、100万円とか20万円とか大口の募金も頂戴していますが、5万円で台座にお名前を彫むことから5万円も多く頂くようになりました。しかしほとんどの募金者は、1千円から5千円の庶民です。大勢の人の認知から、口数が多くなるのを期待しています。 ところで私たちは、仏生山大名行列まつりに合わせて、広報パネルを作りました。そこにポケットを作り、説明のチラシを入れてあります。現在このパネルは、平池堤の現在の設置場所と、仏生山町コミュニティセンターに設置してあります。チラシをご覧になって、平成乙女の像の歴史と意義をお感じ下さい。 ここから |
2017,11,16, Thursday
数日前のことですが、社員の御尊父様の葬儀告別式が高知県高岡郡佐川町でおこなわれるとのことで、社長出張で私が現地まで出向きました。ナビで行きますから、迷うことはありません。早めに到着したもので、駐車場の心配もありませんでした。社員が、喪主を務めていました。20代独身です。掛けてやる言葉も、月並みです。大変疲れていました。
冠婚葬祭は全国津々浦々、いろいろなカタチがあるのですが、冠婚はどこもホテルのような会場ですることから、最近はさほどの違いは感じませんが、葬祭はまだまだその地の昔からのしきたりがあるようです。今日もその一部を垣間見たので、報告までにとりまとめてみます。 まず式次第ですが、会館入口の看板に10時30分開始、12時出棺とありました。おやおや弔辞の朗読でもあるのかと、まず思いました。通常の告別式は、1時間程度ですから、組織葬か社葬等が1時間半で、どうなっているのかとまず疑問に思いました。旦那寺が真言宗なので、読経が長いのか。 原因は、まず遺族親族の焼香にありました。一人ひとりが前へ出て、1基の焼香台の前に立ち横の鐘を3度叩いて、その後に焼香をします。同時に一般客の焼香も後方で始まりますが、こちらは3基の焼香台ですから早いので。打鐘もしません。焼香中も、読経が続きます。 それから「葬儀告別式が終わりましたが、喪主方のたっての希望で、続いて初七日の法要をします」。これが主因ですね。この変則初七日法要は、初めてのことで驚きました。私は、地方での葬儀告別式もおおいに関心があり、驚きをいっぱい経験しています。時系列がばらばらですから、今は習慣が消えているかも知れませんが、経験談を。 熊本市内では、13時からの葬儀告別式と聞いて瞬間「楽ちん」という葬式がありましたが、何とご遺体は9時から荼毘(市営葬祭場)に付されて、骨揚げ後に葬儀告別式でした。これも初めての経験で、大変驚きました。その後に納骨となり、その日は丸一日つぶれました。 次は逝去されたという知らせが届いてから、葬儀告別式が1週間後という横浜市のケースにも遭遇しました。また簡素化でしょうね、香典の受付窓口で中身の金額について聞かれ、「○○円です」というと赤い札をくれて、あのコーナーで現物と交換して下さいというのもありました。 確かに、遺族にとって香典の返礼作業は大変です。知らない人も中にはいて、住所もきちんと書いてないのもあります。福岡市内の大型葬儀告別式では、一切香典・供物を受け付けないというのもありました。こんな場合には、弔電を打っておくという秘策もここで学びました。 決して今日の葬儀告別式を馬鹿にするのではありませんが、地元にはない文化人類学なので紹介しておきます。まず最後のお別れで、お棺の中に生花などを入れますね、ここでは最後に4スミを釘打ちします。4スミと教えてくれたのは、参列者の一人です。それも叩く音が途切れないように、工夫があるそうです。高松市内では、蓋をしてそのまま釘打ちはせず、でも火葬場で蓋を開けることはしません。 そして三途の川を渡るお供の数と、衣装が奇抜です。男性は、い草で編んだ縁なし帽の深いのをかぶります。女性は白い布で、髪を覆います。自然に頭の上に置いているだけですが。それから、それぞれお供が持つ道具があります。 喪主の位牌や次の者の遺影は、どこでも同じだと思いますが、戒名を等身大に大書した紙を、竿に垂らします。提灯が複数有り、そのままご詠歌など詠い、火葬場へ行列する雰囲気です。昔は、そうしていたのでしょうね。 もちろん公営斎場へ行きますから、霊柩車やタクシーマイカーが続きます。ここでは故人が使っていたお茶碗の破壊は、習慣としてないようです。香川県長尾町多和という徳島県に近い山村では、遺族親族は男女問わず、額に白い三角紙をつけていました。ご冥福をお祈りします。 |