2023,05,25, Thursday
毎年結成記念の例会を開催するライオンズクラブ国際協会336-A地区7R2Z『高知黒潮ライオンズクラブ』、こんなクラブの方針は他に聞いたことがなくて、驚きながら感心しています。誕生の原点をいつまでも基本とし、その上に今を積み重ねています。その考えの実践が、退会者の招待です。退会した者を、記念例会にお呼びしています。
退会者の中でも、社内交代など『やむを得ず退会』した者もいます。諸般の事情で退会しても、何度かはこの例会を一緒に経験したはずです。そんな元メンバーを思う気持ちに、私は高知黒潮ライオンズクラブの懐の深さを感じます。今日のお目出度い例会に、高松栗林ライオンズクラブからも、7会員と事務局の花田千万里さんが参加しました。 その他地区役員、『岸岩男7Rリジョンチェアーパーソン』らの外、スポンサーをされた『高知桂・南国・高知中央・高知鏡川・高知北・高知よさこい』の6ライオンズクラブから、メンバーが来ています。遠来クラブを丁寧に扱う慣習から、高松栗林ライオンズクラブが上座にいます。お楽しみ抽選会でも、不思議と栗林メンバーが当選していました。 今日は、山本哲美さんの姿が見えません。聞くと入院して肝臓の手当てをしているとのことでした。また出てきたら、1升瓶片手で、飲むのでしょうね。高知の龍馬のイメージをそのまま背負うような、豪快な人です。車いす移動になっても、これがまた格好いい車体を使っています。「健康になって退院」とは私も言いませんが、またお目にかかりたいものです。 高知黒潮ライオンズクラブは、個性の強いメンバーが実に多く、一人一人の顔と名前が不思議と一致するのですが、まさに『土佐のいごっそう』を代表するような面々であります。そもそもは、2013(平成25)年今から9年前、当時の清水源太郎会長が松前龍宗元地区ガバナー(高松玉藻)の推薦で、わがクラブとの友好関係の締結に動いたことに始まります。 高松栗林ライオンズクラブは、L佐久間勝が会長、L小竹彰が幹事でした。栗林も『突然のラブコール』は初めてのことで慌て、紆余曲折あったのですが結局山本哲美さんの鶴の一声で友好クラブ提携が出来ました。これが契機となり、4月の60周年記念式典&祝宴には、高知黒潮ライオンズクラブ・岡山後楽ライオンズクラブ・金沢兼六ライオンズクラブから大勢の参加を戴きました。これが一番の手助けです。 友好クラブ提携は先の島原ライオンズクラブが、1992(平成4)年L塩田博志会長の年度、前年の普賢岳災害で島原の小学生を高松冬のまつりに招待したことがご縁で、最初の関係を結んでいました。高知黒潮ライオンズクラブは、その後の岡山後楽ライオンズクラブに次ぎ3番目、その後大名庭園つながりで、金沢兼六ライオンズクラブと友好関係を結んでいます。国内の、それも比較的至近でこのような交流が続いています。 |
2023,05,24, Wednesday
総務省は16日、マイナンバーカードを使った印鑑登録証明書のコンビニ交付サービスで、登録を抹消したはずの証明書が誤って交付されるトラブルが、さいたま・新潟・熊本の三つの政令指定都市で計11件発生したと発表した。マイナンバーカードを利用した証明書のコンビニ交付では、東京都足立区や横浜市、川崎市、徳島市で別人の住民票の写しなどが交付される事案が発生している。またかと言われている。
何社に発注したか知らないが、トラブっているのはいずれも富士通の小会社『富士通Japan』のシステムだと言うが、テストランもしてなくてこの程度の誤交付なら本来あってはならない問題だが、確率的にはあり得る事象ではないか。全国民が、一度自分の証明書を取得してみてはどうだろうか。恐らくまだまだ少数だけど、発生すると思います。 このように書いて暫くお蔵入りしていた今日のネタですが、24日の朝刊にも『7自治体で計12件確認』とか、『マイナンバーカードに他人名義登録』の標題が踊る。マスコミの論調は、益々ひどくなるとかき立てて、下火になったら何も報道しない。公金受取口座へのひも付けが間違っていたと言うが、国や公共機関からの入金だけの口座で、私はほとんど空の日頃使っていない口座を届けている。 従って、さほどの驚きは感じません。こんな報道の中ある会合で、「マイナンバーカードの取得は考えていない」と言う論客二名に遭遇しました。四名の内の二名は多い。高松市でも「市役所12階特設会場で、まだ交付・更新申請を受付けていた」と私が言うと、「申請しない」との返事。表現は悪いが『確信犯』だ。確かに「マイナンバーカード」は、まだまだ発展途上だと思う。 しかし、わが国初めての公的証明証だ。制度を構築するための国民の協力も、不可欠だ。私は一定数のエラーは容認する。システムエラーだろうがヒューマンエラーか、必ず一定数はあると私は思う。そのために、公金受取口座へのひも付けでは日頃使っていない口座を使うなど、ある程度醒めた目線で捉えている。健康保険証も、持ち歩いています。 繰り返しになりますがシステムが完璧でも、入力ミスも一定数あると思います。政府なり市町が、市民にテストランを依頼したら良かったのではないか。勿論無料で。今さら覆水盆に返らず、今の時代、残忍ながら自らの権利は行使してみないと分からない。IT・デジタル時代、完全に便利になるまでに、紆余曲折があるのは許容範囲だと思った方が良いのではないか。怒っているだけでは、損な気がする。 |
2023,05,23, Tuesday
丸亀市『オークラホテル丸亀』において、標題の総会が、同四国支部・泉雅文会長ら来賓を迎えて16時から行われました。第5号議案で幹事13名が選任され、これまで長く会長を務めた中野百合子(中野外科胃腸科医院理事・中野美奈子元フジテレビアナウンサー母)さんが退任され、新しく長峰恵(長峰製作所常務取締役)さんが会長に就任されました。同推進協議会の会員は100名だが、その中には企業も多い。
会場のオークラホテル丸亀は、中讃地域の中核ホテルで母体は大倉工業㈱、勿論オイスカの会員であり、同総務広報部長の田邊雅宏氏が副会長に就任されている。宅建協会の総会や研修会でも、度々利用しています。オイスカも、中讃推進協議会と言えばオークラホテル丸亀と言う構図が私の中にもあります。 その理由は、先の事務局長の高橋康則氏が格式重視の人で、ここオークラホテル丸亀を多用していました。氏は四国化成出身で、失礼な表現ですがエリート幹部でした。昨年末で、事務局長を退任されました。四国化成を10年程前に退職していたモノで首都圏在住の息子さんのところへ、移住されました。その後継者が、本日初めて総会進行をされていた『片山和彦』。高橋さんの後継は、大変だと心配していました。 私は、オイスカではじめて高橋康則氏に出会いましたが、私のような土着民(自営業者)と異なり、彼は地場大手のエリート幹部社員でした。それだけ考え方や言動に大きな差がありましたが、私は尊敬する対象の一人でした。四国支部拡大幹事会にも中野百合子会長の代わりに出席されていました。その席でも、『正論』の意見を言われ、泉さんや私は、頭が痛いところも確かにありました。 ゴルフが趣味で、息子さんもそこのところを心得ていて、年末移住早速、親子コンペを計画していると、嬉しそうに話されていました。親子のゴルフ、私は出来ませんが、晩年の趣味としては良いと思います。高橋さんのゴルフ三昧を、熱く応援しています。 さて片山和彦さんですが、デビュー戦は随分点を獲りました。中核の二人が後退しますが、現有100会員を120までに今年伸ばして貰いたい。中讃は香川県の要です、泉雅文氏は地元であることから、奥様も個人会員です。私も高松で、頑張ります。 |
2023,05,22, Monday
久しぶりで、遊漁船『京』を貸し切り高松東漁港からクラブ釣り同好会メンバー6名で出港しました。前回はいつだったかと思いだしても、定かでありません。今日は曇り空で、釣行には良い日です。このところ時間に追われて、準備も出来ませんでした。前日の夜に道具を引き出し、最低限度の準備だけは済ませて就寝しました。
最近の船釣りは、『鯛ラバ』。誰が考えたか知らないのですが、実に上手い方法です。『鯛ラバ』という重りと針が一体になった仕掛けを道糸の先に付けるだけです。エサは付けません。今日も鯛狙いですが、昔の鯛釣りは『エビでタイを釣る』ことで、エサはエビでした。鯛にエビもやらずに、それも大物を釣り上げます。エサの時代以上の大物が、釣果として上がってきます。不思議ですね。 誰が考えたか、釣り竿のガイドにセラミック材を取り入れた成功以上の快挙です。昔の釣り竿のガイドには、金属材が使われていました。これだと大物がかかった時に、道糸のナイロン材が金属とこすれて熱が発生し、道糸が切れてしまうことがあり、釣り人の悩みの種でした。そこにセラミックス製のガイドを発案し、今ではほとんどの竿にはセラミックスガイドがついています。 それ以上の重要アイテムであるその『鯛ラバ』さえも、船頭に「今日間違いなく釣れる『鯛ラバ』売って」とせがんで、手に入れました。前日釣具屋に行って、最新情報を得るのも釣りの楽しみですが、それもサボっています。竿とリールは、今日は1セットだけ持ち込みました。どうしたことか初めてですが、コンビニで氷も仕込みました 釣果ですが、高松港沖の第1ポイントで手のひらサイズの鯛をゲットしましたが、余りにも小さな獲物だったため、自分のクーラーに密かに入れました。それでも産卵期過ぎで食い込みが悪い中でも、鯛が4匹マゴチの大なのが1本釣れました。私にしては、上出来でした。またL大桃一浩と久しぶりの話が出来たことが、大収穫でした。 彼はこの6月末で、退会希望を出しています。5年前の入会時、説明に行った私ですが、夫婦して熱心に聞いてくれたのを昨日のように思いだします。4月の栗林60周年式典&祝宴に、彼が入院のため不在だったのが、より苦戦した要因でした。彼の才能存在は、偉大なモノがありました。いなくて存在の大きさを、改めて知りました。釣り同好会の幹事でもありました。 |