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ソチ五輪スノーボード・ハーフパイプのメダルは愛媛から
ソチ五輪で日本のスノーボード・ハーフパイプ陣は銀メダルの平野歩夢(15)、銅の平岡卓(18)の両選手を中心に大活躍したことで、ソチ五輪大会の前半を大いに盛り上げてくれました。突然降って湧いたような若い選手のメダル獲得に、まさかという気もしましたが、新しい競技に若者の息吹を感じました。

ところでそれら選手が練習をしていたメッカ(聖地)が、愛媛県東温市(旧重信町)の屋内スキー場「アクロス重信」だったと報道されています。年中滑れる西日本最大級の施設だったのですが、残念ながら今から2年前に閉鎖されているそうです。

運営会社の社長は、「雪の少ない西日本でも、環境を整えれば冬季五輪メダリストを育てられる」と話し、再開を検討しはじめていると書かれています。全く知りませんでした。高松周辺でもスキーやスノーボードは、新しく出来た広島県と島根県境の瑞穂まで出かけていました。

今の時代ですから四国内にも幾つかのスキー場がありますが、そんなアクロス重信の評価は聞いていませんでした。屋内スキー場「アクロス重信」は、同県久万高原町のスキー運営会社が1999年、松山自動車道インター近くの丘に開業しました。15年前の話です。

奥行き110㍍幅60㍍のハーフパイプ、長さ90㍍のゲレンデを備えています。夏でも雪の上で、本格的ハーフパイプの練習が出来る全国でも数少ない施設だったようです。夜中に室内を氷点下5度まで冷やし、人工雪を降らせてゲレンデを整え、夏場も同様の作業を実施し、年間1億8000万円の運営費をかけていたのです。

開場当初は年間10万人近く来場していましたが、2008年頃から赤字に転落し、12年1月に閉鎖を余儀なくされました。翌月、選手関係者が愛媛県に存続の協力を求めて5万人分の署名を提出したこともあったようですが、復活には至っていません。それでも年間1千万円以上をつぎ込んで施設は残していて、支援企業等を経営側は模索しています。

読売新聞




| http://nobuchin.0011.co.jp/index.php?e=2593 |
| 社長日記 | 10:23 AM | comments (0) | trackback (0) |
ソチ五輪浅田真央選手と森喜朗東京五輪PP組織委員会会長
浅田真央選手のフリーは、完璧でした。閊えものが落ちたような顔、メダルの恐怖から解放されたリズミカルな動き。自己新記録の演技で、ソチ五輪のフィギュアスケート女子のフリーを締めくくりました。僅か一夜にして、前日の失敗をものともせず、ここまでしたたかに蘇る浅田真央選手の凄さを感じました。

浅田真央選手のフリーに、本人も泣いていましたが、日本中が泣いて歓喜したことでしょう。フィギュアスケート女子の競技ルールは分かりませんが、前日のショートプログラム16位がたたって、フリーを加点しても最終6位。残念ではありますが、これも私にはレジェンドスケーターの誕生です。

恐らく数年後も、「ソチ五輪の浅田真央選手の演技は良かった」と語り継がれることでしょう。メダルがあるかないか、そんなの関係ありません。少なくても私には、ジャンプの髙梨沙羅さんと浅田真央選手は、ソチ五輪のプラチナメダリストです。

一方森喜朗東京五輪PP組織委員会会長の発言ですが、森さんらしいと言えばいえなくもないのですが、本人の真意としてのちに報道されている、「浅田選手は団体戦に出場する必要がなかったのに、勝ち目が薄い中、成功すれば3位になれるかも知れないとの淡い気持ちで出さされて、結果転んだ。精神的な負い目になったはずで、可愛そうだ」と言う発言。

確かにそうだが、公人の発言としては、「大事なときには必ず転ぶ」の方が一人歩きするものです。韓国ではツイッターなどで、メダルが期待されてメダルに届かなかった選手に対して、「黒海に身を沈めろ」とか「生きて帰るな」とかの書き込みが多数寄せられていると聞きます。日本の大衆は、決して言いません。

またNHK籾田勝人会長の「当時は、どの国も慰安婦がいた」発言を、「彼個人の発言で、国とは関係ありません」と日本政府は発表しました。それでは、慰安婦問題を、日本は韓国の言うとおりですと肯定したようなものです。昨日の恨の法廷を読んだとおりです。

ここは、国がNHK籾井会長を守るべきです。だって、国の本音はそうでしょう?日本は悪いことをしたけど、それは、他の国と同じくらいで、どこでもあったことで、必要悪の域を脱しないことです。ナチスほど、ひどい仕打ちじゃない。それをまるで、ナチスヒトラーの施政と同じようなレベル視をする。

だって歴史的真実でしょう。どうして日本の国は、外国の批判から日本人を守らないのだろう。相手が顔をしかめても、はっきり言うべき意見は、言う時代になったのです。日本国内の発言から、世界の隅々まで発言が伝わる時代です。言ってしまったら、信念の限りを言うべきです。途中でうやむやにする時代はもう終わったように思います。

謙譲の美徳も、日本国内だけの事情下では成り立ちますが、日本の常識が世界の非常識になっています。そう拡大解釈を試みていますが、やはり森喜朗東京五輪PP組織委員会会長の発言は、「やさしさ」が少し足りない森節じゃなかったかなと思います。私は、森喜朗東京五輪PP組織委員会会長を変えるべきだと思います。愛があれば選手は成長します。リーダーは愛を持って。


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| 社長日記 | 08:19 AM | comments (0) | trackback (0) |
恨(はん)の法廷
1991年(平成3年)「90年バブル」と言われるバブル景気の崩壊が始まった頃、井沢元彦氏が上梓したミステリーであります。ミステリーの定義は、広辞苑によれば推理小説と書かれていますが、氏は、「ミステリーとは謎に対する知的な解析の過程を楽しむものである。その謎は別に殺人事件の謎でなくてもいいはずだ」と述べています。

またあとがきに、「朝鮮文化の相対化と解析」のためにこれを書いたとも書かれていますが、実に不思議な一冊であります。今から23年前の本ですが、今は手に入らないものです。アマゾン本で検索したら、初版の4年後に徳間文庫から出た文庫本(定価530円)が、なんと134,150円です。確か1週間前は、166,000円でした。

いささか高額すぎるもので、香川県立図書館へ行ってみました。「在書」はありませんと言われました。私の落胆を見た担当者が、「別の図書館にあるかもしれません」と言って、検索コーナーへ案内してくれました。「ここになければ」と半ば諦めたのですが、トライして貰いました。

別の方法で検索した結果、ここ香川県立図書館にありました。恐らく「恨みの法廷」とか、間違ってコンピュータ入力されていたのでしょう。「恨(はん)の法廷」とはなかなか読みません。しかし、そんなのはどうでもいいのです。「大変お待たせして申し訳ありません」と丁重に謝られました。いいです、ぜんぜん気になりません。

それで17日上京した折、東京駅丸の内口「丸善」と八重洲口「ブックセンター」へ行きました。コンピュータ検索で、単庫本も文庫本もありましたが、いずれも在庫なしでした。図書館でお借りしたこの本も、随分読まれたのか、汚れて本としては随分お疲れのようす。製本が破れたところもあります。

「韓国の日本への執拗な謝罪要求は事大主義と小中華思想が理由」週刊ポスト2013年12月20・27日号を中華料理店で目にしました。そこで恨の法廷・井沢元彦著のことに触れていました。読んでみて、過去に目を通したこともあるように思いましたが、読んでいたとしても途中までです。

というのは展開が、おちゃらけなのです。日本人企業家の高沢次郎が、韓国人の林社長に、高速道路上で狙撃され、車が横転するわ、そのままバスに追突し、気がついたら天国か地獄か分からない世界で、「すべてをつかさどる造化の神=天帝」が登場し、神の前で日韓の歴史認識を巡って法廷で争うのです。裁判官は天帝です。

神は全能ですから、日韓両方が希望する証言者を、ただちに登場させます。言葉の壁もありません。聖徳太子や上杉鷹山も出てきました。季退渓(いてげ)や名君世宗(せじょん)も登場します。

ここから暫く週刊ポストの記事を転載します。韓国の反日の根底には「恨」があると喝破した井沢氏だが、日韓関係がこれだけ悪化した今、井沢氏はこう解説する。「恨」が朝鮮民族の特質である以上、 要求に応じて謝罪を繰り返すのは最悪の対応だ。謝罪をすればさらなる謝罪を求められるだけで、 永久に許されることはない。

日本はこれまで、謝罪すべきは謝罪してきた。これ以上謝罪したり、謝罪の意味を込めて経済援助を行なったりするのは無意味どころかマイナスである。 そろそろ毅然とした態度で韓国を突き放すべきである。

嘘で塗り固めた歴史は必ず化けの皮が剥がれ、嘘で塗り固めた教育は必ず破綻する。韓国が本当に近代化し、日韓が真の友好関係を築けるのはそのあとである。「恨」が朝鮮民族の特徴になったのは、民族の辛い歴史による。

朝鮮半島の北側にはつねに中国という超大国が存在し、自分たちを隷属させようとしてきた。そこで、676年に初めて朝鮮半島を統一した「統一新羅」が典型だが、国王は中国の皇帝の家臣という形を取って政治的に服従し、その代わり直接統治は免れて辛うじて国家と民族を保とうとした。

今、朝鮮民族の名前は中国人同様、漢字で書くと姓1文字、名2文字がほとんどだが、かつては複数文字の姓もあった。「統一新羅」になったとき、生き延びるために中国に阿(おもね)る必要があり、中国式の名前に変えた。

つまり「創氏改名」を行なったのだ。それは苦渋の選択であり、表面上は服従しつつも、内には屈辱が鬱積していった。そのように、歴史的に朝鮮民族にもっとも屈辱を与えてきたのは中国なのだが、韓国は、中国に対しては執拗に謝罪を要求したり、「恨千年」などと言って憎悪の感情を露わにしたりしない。

日本に対する姿勢とは大きく異なる。その理由は、「事大主義」と「小中華思想」にある。事大主義とは大に事えること。朝鮮民族にとって「大」とはもちろん中国だ。自分との力の差は圧倒的なので、屈辱を受けても耐えざるを得ない。

その一方で、自らを中国に次ぐ文明国である「小中華」と自負し、より周辺に位置する日本などを夷狄(野蛮な国)と見下す小中華思想を抱いている。その見下していた相手にもかかわらず、自分たちの上に立った日本に対しては、深い恨みを持ち続けるのである。韓国では真実の歴史を語ろうとすると、黙殺されるばかりか、ときに弾圧される。

確かに導入部分は、おちゃらけのような印象を持ちましたが、読み進める過程で、欧米で言う「ディベート」が日韓では必要だと痛感しました。日本人は韓国人や中国人の喋りに辟易して、ついつい黙り込んでしまいます。自分でも韓国人、中国人を喝破することは苦手です。そのぶん、この本は痛快でした。

中でも一番驚いた記述は、171頁からの「韓国の男尊女卑のひどさって、日本人にはとても理解できないと思うわ」「まず、処女性の尊重、いや偏重ね」「(韓国の)女性はね、結婚まで絶対に処女を守らねばならないし、もし恋愛結婚をするならば、初恋の男性と必ず結婚しなければならない」

「だって、恋愛しただけで、その男性に処女を捧げたとみなされるから、実際に肉体関係がなくてもよ」「そんな。だってうまくいかないことだってあるでしょうに。その時はどうするの」「その子はそれだけでもう、処女を失ったとみなされる。ということは、日本で言う『キズモノ』よ。」

「ただ日本ならキズモノでも受け入れてくれる男性もいるけど、韓国では絶対にいない。だからそういう女性は、結婚を諦めて水商売に入るか、それとも外国へ行くしかない」。そんな馬鹿なことも、書かれてあります。



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| 社長日記 | 11:58 PM | comments (0) | trackback (0) |
顧問相談役参与会2014
今日は24節気の「雨水」です。「雨水」とは、雪が雨に変わる頃という意味で、次第に春の足音が近づいてくる頃・・・
また、草木が芽生える頃とされ、
街路樹の木々の枝にも
可愛い芽が顔を出すころ・・・

そろそろ降る雪もなごりとなり、
可憐な春の妖精たちが
すぐそこまでやってきています。

心の中にも美しい花が咲くよう日々心を磨き、優しい春をお迎えくださいませ。 致知出版社 小笠原節子から頂いたメールから転記しています。

本日は(公社)香川県宅地建物取引業協会の顧問相談役参与会が、開催されました。現職執行部が、元役員経験者へこの1年間の動きを報告して、ご意見を伺う機会です。元職は事情をよくご存知であって、現職はお叱りを頂くことが多々あります。現職にとっては、針のむしろのような場面もあります。

説明は、多岐にわたります。それぞれの担当から説明する訳ですが、引っかかるとなかなか前へ進めません。本日は2人からのご意見が長かったもので、他の人は言いたくても時間切れのようになったのかなと心配をしております。会員減にも触れて、将来動向に対する施策も言われましたが、自然減は止めることが出来ません。

廃業の理由が死亡や高齢のためとなると、これは執行部も手当がありません。数を減さないとなると、自然減の数だけ新規加入を求める訳ですが、魅力のある業界であることを強く訴求できないと、若者が集まることはありません。メシが食べられないと、開業も難しいところです。



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| 社長日記 | 11:59 AM | comments (0) | trackback (0) |
香川県不動産同友会第37回総会
「香川県不動産青年同好会」の名称で発足した同会が、昭和52年に誕生して、本日37回目の総会を迎えました。 (公社)香川県宅地建物取引業協会日下雅彦会長も元会員ですが、来賓挨拶の中で、「協会は47回総会の準備をしています。協会発足後10年遅れで発足した貴会も、県下に大きな足跡を残すまでになりました。今後の活躍を期待しています」と後輩らに檄を飛ばしていました。

発足当時は、二世業者や若手宅建業者の会でした。初代会長は故植本義明氏、二代広田氏、三代槇野正男氏、四代目安野公尚氏と続いたのですが、私はこの発足4年目の安野公尚会長の時に入会を許されました。今と違ってこの時代は、協会以外の団体はなかったと思います。

嬉しかったですね。特に麺職人だった私は、不動産業を全く知りませんでした。現場で起こった話しや歴史を聞くのは、私にとっては何よりの楽しみでした。明日の四国新聞朝刊にも「REG不動産共同広告」が掲載されますが、当時からこの共同広告は斬新な試みでした。当時は半5段で、10社の不動産情報が掲載されていました。

10周年を経過した頃、「青年同好会」も「壮年同好会」かと揶揄されだして、名称を今の「香川県不動産同友会」と改名しました。同時にREG(Real Estate Group)と愛称もつけました。徳島県下の若手不動産業者団体とも、友好関係を続けています。

私も順番で14代会長を仰せつかりました。丁度「90年代バブル景気」の、ピークを迎えた時代でした。任期1年ですから、私は次年2月に、「このままの地価上昇は経済が崩壊する」という主旨のシンポジュウムを企画し、ほぼ一年間かけて準備をしました。

そんな年の秋に、NHKが5夜連続で「地価は下げられる」という特別番組を企画し放映しました。私と同じことを考えている人も多いのだと、妙に納得しました。矢沢日経新聞高松支社長、香川大学井原理代先生、香川宅建協会北川会長らをパネラーとして、心配を掘り下げました。

このシンポジュウムの翌日から、高松の地価は下がりはじめたと揶揄されましたが、私も地価がこれほどまでに下落するとは考えていませんでした。不動産価値が下落するのは、担保価値としては問題がありますが、ほとんどの場合、値上がりしても売却することはありませんから、そんなに得はしません。

こんな相関関係は、これまでもこれからも続くと思います。つまり90年代バブル経済の頃は、地価の上昇と共に所得もどんどん増えていました。一方現在は、非正規雇用とかフリーターアルバイト、はたまたパート従業員だけでやりくりをしているという職場もあります。所得は激減です。

こんな雇用現状は、異常としか言いようがありませんが、所得が下落している昨今は、「中古住宅」の活用が、持続可能な循環型住宅供給システムとして国土交通省は推奨しはじめました。もちろん東京都内では5億円もする高層マンションも売れていますが、全国的に余っている(全国に570万戸香川県内5万戸)中古住宅を資産とする試みが始まっています。

今年の会長は、佐野観右(佐野不動産)氏です。新会員の増強もあわせて期待しています。私も例会出席が出来ていませんが、心情的にはここが今でも中心地です。若い二代目、三代目も育ってきています。

また本日、別の席ですが、「不動産屋さんはすごい(良い)影響力を持っていますね」とお褒めを頂きました。報酬も有難いのですが、このようなお褒めの言葉も意を強くします。私も役立つ仕事だと、自負と矜持を持っています。



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| 社長日記 | 11:46 AM | comments (0) | trackback (0) |
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