2015,06,19, Friday
比較的若い、香川県下の不動産業者の集まりです。およそ、40年の歴史を誇っています。更に嬉しいことに、次の会員が入ってきています。次の例会に、2人の新会員が登場します。もう半分近くの会員は、知らない顔です。知らない人との出逢いは、嬉しいものですね。
本日は、対岸の岡山県下津井まで遠征して「たこづくし」を食べるというのです。このように馬鹿なことをする集団と、定義することも出来ます。私もこの会には、随分助けられました。私の不動産知識歴史の基礎は、ここにあります。 今のようにIT活用が進んでも、所詮は人間社会ですから、知らない人とは取引も出来ません。あそこにあの物件があると分かっていても、それから先が難しいのです。知らない人には、リスクをとれません。この点は、法律でも規制することは出来ません。 そのようにこの会の大前提は、「親睦」です。設立当時は、今以上にギクシャクしていた業界であったと思われます。私も感じるのですが、この30年でこの業界も随分変わりました。私が参入した30数年前が、第一黎明期だったと思います。情報公開が、ここから始まりました。 今が第二黎明期です。不動産流通業界のブラックボックスの中身の見える化が、キーワードです。土地の境界確認を土地家屋調査士に依頼し、建物は設計士にインスペクションしてもらい渡すのが、公益社団法人香川県宅地建物取引業協会会員の常態になりつつあります。 そしてこの常態が、全国水準になります。ここまでは、昨年までに出来ました。今年4月から、「宅地建物取引主任者」の名称が、「宅地建物取引士」に変更になりました。これをきっかけに、第二黎明期になると私は考えているのですが、次は「空家等対策の推進に関する特別措置法」への対応です。 先月26日に全面施行になりましたが、高松市からの具体的動きは見えません。私はこの期に、「空家等対策の推進に関する特別措置法の方針」を示すべきだと考えています。方針表明に、コストはかかりません。土地建物等の固定資産への課税は、市税収入の半分を占めています。情報は持っているはずです。 道路拡幅等を市に依頼すると、「カネがない」を理由にして動きません。それでも、口は動くでしょう。少なくても、やる気だけでも表明して頂きたいものです。それで香川県不動産同友会に話しを戻しますが、最近古い書類を整理していたら20年前のイベントの進行台本が出てきました。 川松義春さんが、会長の時です。旧市民会館で、一般聴衆400人を集めて、住宅メーカー10社以上を集めて賑々しく開催しました。また私が会長(25年前)をした年は、丁度バブル崩壊の年(平成3年)でした。「地価が下落」することを言い当てたイベントをしました。 色々なことに挑戦するREG(Real Estate Group)香川県不動産同友会です。 |
2015,06,18, Thursday
安倍晋三首相が、終戦70周年を総括して「70周年談話」を、この夏に出そうとしています。有識者検討会を開き、先の村山談話を踏襲したもの、はたまた否定して日本の開戦の正当性を訴えるかとも言われています。安倍晋三首相としては、独自性を出したいと考えているふしがあります。
どのタイミングか私は知りませんが、8月6日広島原爆投下日や9日の長﨑原爆投下日、そして15日の玉音放送日には出るのでしょうか。まさか9月の講和条約締結に併せることはあるまい。どこであれ、この中でタカ派の安倍晋三首相であっても、植民地支配と侵略「謝罪」の意味合いは必要だと思います。 ただし、過去の村山談話や、昭和天皇、今上天皇の「お言葉」がそうであったように、植民地支配と侵略に対する謝罪は、現在の日本の「国のかたち」が何か「悪なるもの」を継承しているとか、「物的な戦後補償を永遠に続ける」といったものではありません。 あくまで象徴的な意味で、「最後の世界大戦における永遠の敗戦国」という「役割」を理解しているし、そのような戦後の国際秩序において「信義ヲ世界ニ失フ」ことはしないという理念的な意味合いであり、それ以上でも以下でもないということを明確にすることです。 日本離島防衛などについて安倍晋三首相は、「中国を対象にしている」と明言したりして、中国を激怒させています。安倍晋三首相は正直な人かも知れませんが、そこのところはぼかして発言しないと、外交にはならないでしょう。 安倍晋三首相の軽はずみを懸念してか、3日夜、皇居・宮殿で開かれた国賓として来日したフィリピンのアキノ大統領を歓迎する天皇、皇后両陛下主催の宮中晩餐会(ばんさんかい)での天皇陛下の発言に、その心配が込められています。 天皇陛下は冒頭のあいさつで、先の大戦時にフィリピンで多くの国民が犠牲となったことに触れ、「私ども日本人が深い痛恨の心と共に長く忘れてはならないことであり、戦後70年を迎える本年、犠牲者へ深く哀悼の意を表します」と述べられたのです。もしかしたら「70周年天皇談話」があるかも? 集団的自衛権行使を容認する安全保障関連法案の成立に固執する安倍晋三首相ですが、同盟国アメリカの真意は、成立後に自衛隊が持つ戦闘武器の押しつけではないかと私は考えています。1兆円とも2兆円とも噂されるアメリカ政府承認の武器商人からの武器輸入。自衛隊は、防衛のための機材は十分保持しています。 オスプレイだとか、離島防衛のためと言われる水陸両用車など、防衛と言いながら離島奪還作戦ですから、まさに戦闘です。先にも書いたように、この対象国は中国だと安倍晋三首相は名指ししています。市井の近所づきあいでも、名指しされたら敵意を覚えます。 こんな安倍晋三首相ですが、私が偉いと思うのは、アメリカ一辺倒の行動の中でもロシアとの外交パイプを切らないように留意しています。集団的自衛権行使を容認することは出来ませんが、ロシアとの交渉、とりわけ北方領土問題の解決に、私は大きな期待を寄せています。 さて標題の件ですが、逆説的に言って「70周年談話を出さない」という政治手法もあるかと思います。田舎の市町村長と、国の代表とは当然質が異なります。正直に誠実に粛々と執務する立場と、安倍晋三首相の仕事は当然異なります。両極端の考え方を持たないと、国益は守れません。 ドイツのメルケル首相は西側陣営の中心人物ですが、プーチン大統領とは同郷です。ドイツのメルケル首相は、東ドイツ出身です。当然プーチン大統領とも旧知の仲です。これがまさに外交です。 ギリシア問題の解決に、EUやドイツのメルケル首相は聲高になっていますが、ギリシアの助っ人は、実はロシアです。ロシアからの事実上の資金援助、これがあるから、だからギリシアは、笑って強気なのです。これが欧米の政治です。 |
2015,06,17, Wednesday
盛和塾大阪の塾生稲田二千武(にちむ)氏が、平成27年6月8日の讀賣新聞7面に大きく紹介されています。稲田二千武氏は、盛和塾30年の歴史の全てを知る最古参の一人であります。私の印象では、2010年の稲盛和夫塾長のJAL再生の際の50万人塾生応援団の発起人の一人として、よく覚えています。
稲田二千武氏は、家庭用マッサージチェアーを作る「ファミリーイナダ」社長です。今年74歳、売上高217億円従業員450人という高収益企業を、50年以上経営されています。記事では、経営の危機が過去にあったことも書かれていますが、塾生である限り大丈夫です。 1959年米子高等経理学校を卒業し、多くがそうするように大阪に出て、鉄工所に入社して3年で「稲正万能工芸社」を設立します。そこで、自動マッサージ器「ファミリー・チェアー」の製造販売を開始します。当時は全国に銭湯が、2万5千軒あり、男湯と女湯にダブルで売れたようです。 30歳の頃には、従業員を200人雇用し、「高度成長期の若き成功者」として業界で一目置かれる存在になったそうです。するとどこからか、邁進した経営者像が浮かび上がって来る物です。いろいろな災難が降りかかってきます。 社員と膝詰め談判をすると、「若いのに生意気すぎる」とか「飲み歩いてばかりいる」などと厳しく糾弾される始末。多くの経営者が、自分ではそうではないと思っていたのだが、ここで「なんて馬鹿な男やったんや」と涙したとも書かれています。 次ぎに血判状が登場するのですが、血判状と言えば稲盛和夫塾長も血判状を突きつけられたと書いていました。この1980年代は、日本経済も右肩上がりで国民の意識も全体的に高揚していたのでしょう。良いに付け悪しきにつけ、同志の意識のベクトルが、一つの方向に合っていたのです。 |
2015,06,16, Tuesday
今期、北川豊彦会長の最後の例会でした。自ら「不登校児」という平木享県議も、「最初と最後は出席」と言って、早くから来ていました。このように傾向としては、最初と最後は出席者も多くて、盛り上がる例会です。特に最後は、アワードをもらうメンバーも多くて、ドネーションも飛び交います。
また今日は、佐久間勝元会長のお嬢さん夫婦が、ギターを持ち込んでおじさんらのために懐かしの曲を唱ってくれました。旦那様がギター演奏、奥様が唱うのです。日頃は、横文字の歌を唱っているようです。「おいおい本当の娘か」と、盛んに冷やかされていた佐久間勝元会長でした。 北川豊彦会長は、内臓摘出の手術をして3年目くらいでしたか、食べることも多少なら飲むことも出来るまで回復しています。それでも万全とは言い難く、そんな時によく1年間頑張ったと思います。会歴も12年で、49代幹事も経験されています。幹事、会計に励まされての入港です。 幹事はL鶴見邦夫、鶴見さんはドコモ勤務時代に在席していて、退社と同時に退会されて、再度入会されたメンバーです。北川会長を助け、頑張りました。特に今年は、336複合地区の年次大会が高松開催となり、その準備にも忙殺されていました。 複合年次大会は、30年在席の私でも確か前に1度経験したことがある?と言うぐらい、なかなか遭遇するものではありません。従って過去を知る人も少なく、会場も変わりますから、手作りの運営になります。組織の性格上、リーダーがいていないような、その中での分担ですから骨が折れます。 一方会計のL香川明俊は、超ベテランです。クラブ幹事会長は勿論、キャビネット事務局の役員もしたほどのベテランです。クラブ歴43年は、この北川内閣でも最古参となります。会長幹事の、道しるべが会計のL香川明俊だったのではないでしょうか。 昨年7月に「北川丸」が出港し、まだ最後の委員会を残してはいますが今日無事に、再び無事航海を終えて帰港したと思います。さてさて次期は、内野謙蔵氏が第53代会長としてスタートします。会歴8年、北川幹事の前の年に幹事を経験されています。 そして花の幹事は、私がスポンサーした松田展和ライオンが満を持して登場します。会歴12年ですから、決して早すぎることはありません。内野謙蔵氏と昭和28年誕生は同じですが、学年は内野謙蔵さんが一つ上、私と同期というプラットホームになります。 小欄を書きながら我がことを振り返れば、クラブへ入会したのは29歳の不動産開業の時でした。8年目に浅田善太郎会長の年の幹事に就任し、それから死んだフリをしていて、会長は21年目でした。そして32年の月日が流れました。早いものです。 |