2013,11,20, Wednesday
「一票の格差」が最大2.43倍だった昨年12月の衆院小選挙区選は、違憲だとした弁護士グループが上告していた16件の選挙無効(やり直し)判決で、最高裁大法廷は20日区割りを「違憲状態」とする統一判断を示しました。各方面から賛否両論が言われています。
現実問題として、昨年12月の選挙が無効だとしたら、あれからの11ヶ月の出来事は無効となれば、安倍第二次内閣の存在も認められず、外国との約束も、20年の東京五輪・パラリンピックもご破算になるのか?そんなわけにはいくまい。 今年6月に「0増5減」の決定したことも、最高裁は一定の評価をしたようですが、庶民からして、国会議員定数はザックリ半数で良いと思います。どこをどうするかは言えませんが、制度としては小選挙区割りより中選挙区制度が、もっと言うなら大選挙区でも良いのかと思います。 細かくしすぎると、人口が多い都市部に票が集まりすぎます。日本一小さな香川県を例にとっても、1県一人でも良いのではないかと思います。県下には現在、衆議院議員が4人参議院議員が4人だと思います。間違っていたらご免なさい。 一律半減とはならないと思いますが、標準的な香川県の場合、合計8人ですから4名ですか。これで十分じゃないですか。国民感情からしても、1000兆円の借金を増税で補っていくことは、とても間に合いません。世間にはいろいろ無駄があると思いますが、私は国会議員定数削減に賛成です。もっとも一人一人に当てはめれば、失業ですから心が痛みます。 国会議員は世界へ目を向けないと、私のようにいらないと言う選挙民が、多くなると思います。毎週選挙区へ帰っている議員さんに、同情さえ覚えます。選挙人も変わらなければ、いけません。議員さんは確かに地元の利益を代表する立場の人ですが、地元だけでなく国益も考えられるように配慮しなくては。 一方、サッカー日本代表が課題のアウェーで、ランク5位のベルギーに打ち勝ちました。サッカー界では何というのか知りませんが、ベルギーに2点盗られましたが3点獲って、実に鮮やかに勝ちました。その前のオランダ戦も、同点で引き分けました。日頃の考えが、実践に結びつき、結果につながったと思います。 |
2013,11,18, Monday
萩温泉「萩本陣」で目覚めましたが、外は雨でした。長門市から、テレビコマーシャルで有名になった角島(つのしま)大橋へ行きます。下関市豊北町神田と同町角島を結ぶ1780㍍の橋です。人口千人の島へ、橋を架けています。政治橋かなと思いますが、その先には「角島灯台」があります。
この橋を眺めながら私は、沖縄県宮古島にある、池間大橋を思い出します。1425㍍の池間大橋と、来間島への1690㍍が続いています。ここもよく車の撮影に使われていると当時聞きました。沖縄も波が高いのですが、ここ角島も半端ではありません。 先にある角島灯台は石積みの灯台ですが、美しい造形美です。百年経過した今も、風化することなく鎮座しています。塔の高さは、石積みで国内3位だそうです。私も登ってみましたが、105段の階段があると聞きました。最後は石鎚山の鎖状態です。まっすぐ上がるのに、ロープを頼りに上がります。 その先に光源があります。外は文字通り360度のパノラマが広がっています。 この灯台もそうですが、明治初期の灯台は、イギリス人技師の力で完成しています。灯台の石積み建築も見事な物ですが、あかりを遠くまで飛ばす仕掛けは、レンズにあるようですが、灯台記念館にはこのレンズの一部も保存されています。 またイギリスの技師ブラントンは、灯台だけでなく、鉄道や下水道、埋め立てから、横浜のまちづくりまで近代化への技術を伝えています。日本人は、江戸の鎖国時代に国を閉め、その間に得た物を美味く醸成し、明治時代に実をつけています。明治の文明開化がよく言われますが、江戸の暗黒時代がなければ、日本の黎明期は訪れていません。 ウィキペディアフリー百科事典によると、角島灯台(つのしまとうだい)は、日本海(響灘)に浮かぶ山口県下関市の角島の北西端、夢ケ崎に立つ石造の灯台。灯塔は総御影石造りで、日本に2基しかない無塗装の灯台の一つと書かれています。そしてもう一つは高松港沖合に浮かぶ男木島灯台です。 香川県人の一つの誇りで、映画「喜びも悲しみも幾年月」木下恵介監督作品の舞台となった灯台の一つが男木島灯台です。この舳先でよく魚が釣れるのです。映画は「灯台守」の夫婦が、戦前戦後の25年間、嵐にも負けず灯台の灯をともし続ける生活を描いたものです。 「灯台の父」と呼ばれるリチャード・ヘンリー・ブラントンの設計による最後の灯台で、日本海では初めての洋式灯台です。レンズは日本でも5箇所[2]しかない特大のフレネルレンズで、第1等灯台に指定されています。 この灯台は、歴史的文化財的価値が高いAランクの保存灯台で、日本の灯台50選にも選ばれている。北長門海岸国定公園内に含まれ、灯台周辺は下関市立の角島灯台公園となっている。灯台守の宿舎であった退息所が復元され資料館となり、参観灯台として常時内部が一般公開されています。 。 そして山口の今頃と言えば、「ふぐ」料理ですね。昼食は下関唐戸市場横の、カモンワーフ内にある食堂で、「ふぐ三昧」料理でした。夜の弁当は広島のかき弁当でした。寒くなりました。昨日の紅葉から、一気に冬支度になってしまいました。明日は、上京します。東京も寒いでしょうね。 |
2013,11,17, Sunday
津和野・萩・角島観光と下関・唐戸市場バスツアーの初日でした。中国地方の山間部は見事に紅葉がすすみ、「赤白黄色」と唄われるように、とっても綺麗です。気温も下がって、10度前後になっています。移動は大型バスですから、車内はいたって快適です。ワインや日本酒、はたまたビールなど、この支部は凄い。
髙松を7時前に出発し、瀬戸大橋を渡って山陽道に入ります。津和野で昼食を頂き、松陰神社・松下村塾にお参りします。お参りと言っても吉田松陰を祭る神社ですから、そう大きくはありません。しかし一個人の神社と言いながら、天皇陛下や皇太子も参拝されているようです。 吉田松陰(よしだ しょういん)は、日本の武士(長州藩士)、思想家、教育者、兵学者、地域研究家。一般的に明治維新の精神的指導者・理論者として知られる。獄中にて遺書として門弟達に向けて『留魂録』を書き残しており、その冒頭に記された辞世は“身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂”。 知行合一(知っているだけでは駄目だ。行動に移す)を唱え、自らも行動し、獄中につながれます。多くの弟子を持ち、今日まで慕われている指導者です。 また、家族宛には『永訣書』を残しており、こちらに記された“親思う心にまさる親心けふのおとずれ何ときくらん”も辞世として知られている。自分が、親は元気で暮らしているかと心配している以上に、親は今日の処刑の噂を聞いて、さぞう心配をしていることだろうと詫びている辞世の句です。 このあたりは、大学1年生の頃来たことがあります。ここで知り合った福島の中村さん宅で、その後桃作りの手伝いをさせて頂くことになります。その頃に比べると、随分立派になっています。新しい記念館も完成し、着物に帯刀姿の男女もいて、さらに観光地化しています。ボランティアガイドも常駐し、吉田松陰の人気の程を知ることになります。 研修旅行ですから、最初に「全宅管理・事業と入会のご案内」のDVDを視ました。私の仕事は、これでおしまいです。おやすみなさい。 |
2013,11,16, Saturday
一会会(いちえかい)は、香川県中小企業家同友会髙松第4支部のOB会です。現役もいますが、私や横山晴美さんなんかは、退会組です。それでも一会会は、毎回案内を下さいます。副会長山本陽一さんには、本当に申し訳なくひたすら手を合わせるだけです。
山本陽一さんは、明治大学の先輩であります。髙松4支部の支部長をされて、普通は会の中心位置を目指すのですが、この人だけはそんなの関係ないと、今は退会組の窓口に徹しています。わが友の宮本嘉二と同じように、テニスに興じています。 奥様も豪毅で、ワイン(だけでない)を呑ませると、旦那様の倍は呑むと思います。そんな山本陽一さんのリードで、本日はJR髙松駅近くの、「さぬき創膳」での集会です。ここは大川ビル2階ですが、実に分かりにくい。しかし、良い物を出します。私は穴場だと思っています。 ところで今日、コトデン築港駅に降り立った時に、構内にビールの店が開いていました。駅なかの店です。都会のように大規模ではありませんが、田舎のローカル線に販売店があること自体が、素直に「うれしい」ことです。それもドーナツ店の横に、ビールです。みなさん、この快感を感じて下さい。 とは言いながら、私が意識した頃に、「ビール店」は閉店していました。夏限定と言われればその通りで、何を今頃「ビール」だ。しかし余人は知らず、なくなった物がいとおしいと思うのが「男の性」。回りくどくなりましたが、その店が、本日は開店していました。 聞くと、讃岐の麦を使ったここだけ(本店でも販売)のビールだと言うのです。呑んでみました。確かに美味い。私はビールのことはよく分かりませんが、アルコール度4.2度の「THE CRAIC ALE(ザ・クラック・エール)は美味です。お代は700円ですから安くはありませんが、私はイーブンパーだと思いました。 時間は集合場所の10分前、次の一杯は無理ですが、本店は近く高嶋君のイタメシ屋の上だというので、次回はそこで一杯呑むことにして、ここはひとまず退座します。さぬき創膳へ急ぎます。私もさぬき創膳は三度目ですが、分かりにくいところにあります。 タイトルに登場した岡田定雄さんですが、杖をついていますが、口は元気です。私も同友会ごっこをしていた頃、岡田定雄さんとよく議論をしました。私にとっては、得がたい先輩です。岡田さんがいて一会会です。彼は若い頃の不摂生がたたって、今はおとなしい岡田定雄さんです。 |