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仏生山校区コミュニティ協議会25年度総会
回数のとらえ方はいろいろあるようで、通常今頃の総会は「平成24年度」と表示されるようですが、今晩の総会は標題の通り25年度でした。でもそんなの関係ないのです。生きるためのベースとなる、地域のコミュニティ(共同体または地域社会)ですから、各論よりも総論が重要視されています。

仏生山校区コミュニティ協議会は、小学校校区内の全ての公的団体を含んでいます。連合自治会から長寿会、交通安全母の会から衛生組合まで、数えてはいませんが、20組織は下らないでしょう。加えて商工会や、金融機関の仏生山支店などの商工労も加わっています。

昔流に言えば「公民館活動」ですが、今では何でもコミュニティ活動と表現されています。このように変わったのは、今から丁度10年前の平成15年からです。生きるためのベースがカタカナ表記であることに、以前は違和感もありましたが、今は自然に言葉が出てくるようになりました。

冒頭西岡会長の挨拶に、「少子高齢化」の具体的数字の紹介がありました。仏生山町の65歳以上の高齢者数は、昨年より61名減の7,995名だそうです。高齢化率27.3%で、3.6人に1人が65歳以上の町民です。全国平均は24.1%、香川県下の平均も27.1%と、僅かですが仏生山町は県下でも高齢化率が進んでいます。



古い町だからと言ってしまえば何となく納得もするのですが、古い町でも若者が住んでいけないという決まりはありません。古い町並みを残しながら、幼い学徒が行き交う町が、理想型であります。年寄りが増えているわけではなく、若い子の数が減っているわけですから。

また自治会加入者率も下がっています。自治会が向こう三軒両隣のお付き合いをしていたのですが、賃貸住宅も増えて、全世帯加入はほど遠い数字に落ちています。仕事柄できるだけ町内会(自治会)への加入を勧めますが、逆の強力もあるのです。

つまり例えば10世帯のアパートであれば、少なくても誰か代表者を総会へ担ぎ出すように不動産業者は連合自治会等から攻められます。誰も出ないとなると「社員を出すように」と言われます。これには正直「おいおい」と思います。「そこまで言うのですか?」というのが正直なところです。

また同時に、ゴミ出しのルール化により、自治会加入が進まないこともあります。これはわれわれのリードミスも正直ありますが、単身世帯になると、朝8時までのゴミ出しが出来ない人も中にはいます。こうなると市の回収ではなくて、業者回収となります。当然ここには料金がかかります。自治会費とダブっては集金が、ままなりません。こんな現状も背景には隠れています。

総会の議案は、事業会計監査報告が満場の拍手で承認され、来年度の計画予算役員人事へと続きます。こちらも満場一致で承認されました。役員はほぼ留任ですが、監査役の岡田さんが退き、山本さんが新たに着任することになりました。交通安全母の会の代表です。

右端十河寛敬氏

本日の肝と言ったら失礼ですが、校区内をパトロールする「青色パトカー」の導入が新規案件として、予算化の中で紹介されています。軽自動車購入予算の100万円が突出していますが、この金額では毎日誰かが乗車して校区内を朝夕夜とパトロールすることが危ういようです。

仏生山校区青少年育成会代表から、ライオンズクラブの協力を要請されましたが、私が所属する髙松栗林LCは、仏生山町にはさほど縁がありません。法然寺境内の五重塔落慶法要では、高松玉藻LCと合同で提灯行列にも参加しましたが、それもあくまでも玉藻城・栗林公園つながりです。

そこで昨年から、仏生山町内の「観翠」を例会会場とし、仏生山駅前の清掃活動に取り組んでいる「高松空港LC」の藤川会長に窮状を伝えました。さりとて高松空港LCも、今年5月の結成10周年記念事業で体力を使い果たしているはず。にわかに支援の手は、難しいと思います。

さりとて「青パト」の導入は、住民に安心と安全を提供すると共に、高齢者のほんの少し、例えば貯まった新聞をゴミステーションまで持って行けないというようなリクエストにも応えられる(十河寛敬氏が暫定で動いたそうです)ようになるかも知れない。

ハードだけの整備でも機能しませんが、やろうという人たちのソフト面が揃っているのであれば、もう50万円程度か分かりませんが、どこかで手助けが出来ないものか、思案橋がはじまりました。

次の仏生山町を考える会香川代表

| http://nobuchin.0011.co.jp/index.php?e=2349 |
| 社長日記 | 09:59 AM | comments (0) | trackback (0) |
盛和塾ベトナム開塾へ向けて
稲盛和夫塾長が主宰する「盛和塾」ですが、現在70塾(内海外に10塾)8,000人が活発に活動しています。塾生は、稲盛和夫塾長の教えを忠実に実践し、自社の自分も含めた従業員の物心共の幸福を日々追求し、誰にも負けない努力をしています。

そんな盛和塾ですが、来月横浜で世界大会が予定されています。世界中から選抜された経営者が、経営体験を話しますが、香川塾から井上智博(井上誠耕園)さんがトップに登壇します。昨年の十河孝男氏に続いての快挙です。また大切な気づきを、ソールメイトから頂くことが出来ると思います。



話しを盛和塾の開塾へ飛ばします。
つぎの開塾は、ベトナムかと期待をしています。中心人物は、以下のダンさんです。
Dang Tommy Hiromasa CORE HIRO INC Tel 310-891-1212 e-mail hirodan55@gmail.com
私も協力をしたいと考えて、中小企業家同友会在籍時の指導者、東京在住の井上弘氏にFAXを送っていました。同友会でいろいろやっていた今から10年前は、Eメールは使われていませんでした。

その井上会長から今度はEメールが届きました。
暫くです。小生すっかり隠居してしまい。会社へも月2回出社程度で貴殿からの案内FAX今日見ました。子無き私達には社員60名が会社承継してくれヴェトナムの子会社も現地採用の角田社長「日本人元商社マン」に任せ夫妻ともに80歳の隠居生活を楽しんでいますです。

会社が町内なので自宅を分室にCPで済ませております。詳細が分かれば参加可能ハノイに問い合わせ返事いたします。 
エアコンサービス 会長 井上弘

このことをダンさんに伝えました。そしたらダンさんから返事が来ました。
お元気様です。
突然のメールにびっくりしました。ベトナム応援団 ありがとうございます。とても嬉しく思っております。

この度、6月23日から6名でハノイ視察ツアーに参ります。その際、ハノイで静岡塾で昨年、日系初のメッキ工場を立ち上げた山岸さん、すでにハノイ進出4年目の福岡塾
の浄水器メーカーのタカギさん、この前ブラジルで発表された、ホテルカンデオ・ハノイなどを訪ねます。

また、7月中に横浜塾の大庭さんが、ハノイに「なかよし幼稚園」をOPENします。
福井塾からも梱包メーカー、石川塾からも、コンニャク製造メーカー、札幌塾からは、鈴木さんというメガネ屋さんが8月OPEN。8月中にはハノイで京セラの最新工場が稼働予定です。

次々とベトナム進出の情報が寄せられ、本当にうれしく思っております。どうか、私のメールアドレスを皆さんに配っていただいて松野さんのお知り合いでベトナム進出していらっしゃる方
や進出したい方をご紹介ください。

本部より、「開塾するならば100名!!」と言われております。
来年の開塾に向けて、誰にも負けない努力でがんばって
おりますので、どうかこれからもご支援のほど
よろしくお願い申し上げます。  DANG & 八塚より

盛和塾生の皆さんあのダンさんを、応援しょうじゃありませんか。


| http://nobuchin.0011.co.jp/index.php?e=2348 |
| 社長日記 | 08:31 AM | comments (0) | trackback (0) |
やるべき使命を明確に持つ者によき結果が
このところ良いニュースが流れています。21日午後6時前、小型ヨットで太平洋横断に挑戦していた全盲の鍼灸師・岩本光弘さん(46)と、大阪読売テレビのキャスター辛坊治郎さん(57)が、ヨット内への浸水で船を放棄し、荒天の中救命ボートで漂流しているところを、海上自衛隊の海難救助隊に救助されたというニュース。

もう一つは「富士山世界遺産」に決定というニュース。除くと言われていた「三保松原」も含めて登録という最高の結果です。富士山は長く、世界遺産に登録されそうだと言われつつ、ゴミや不法投棄が多くてとても無理だと諦められていました。富士山は、世界文化遺産です。日本の文化が評価されたわけです。

浮世絵から直前のロビー活動まで、日本側の働きかけがよかったと言われています。これまでことあるごとに、日本人は国際会議でのロビー活動が下手だと言われ続けてきました。2016年のオリンピック誘致に失敗したのも、個対個の説明説得が下手だったと言われていました。

日本の関係者の、登録に対する「任務」「責務」「誇り」の結実した、やることがはっきり分かっていたことの実践とよき結果でしょうね。良い仕事をしたと言っても良いでしょう。三保松原の扱いにも、ブレがなかったですね。ここも勝因だったと思います。

また先の海難救助ですが、厚木基地に無事降り立った辛坊治郎さんは、「2人の命を助けるために、犠牲になるかも知れない状態にあった11人の海上自衛隊員が、命をかけて救助に来てくれた。この国、日本に生まれてよかった」と涙ながらに語っていました。辛口キャスターと言われている辛坊治郎さんが言うので、また真剣みが増してくるのです。

福島県の小名浜港を今月16日に出港し、アメリカ西海岸サンディエゴまでを55日間で航行する予定と賑々しくスタートしたのでした。全盲セーラーが世界一に挑戦と言っても、キャスター辛坊治郎さん(57)が乗っていなければ、これほどの盛り上がりはなかっただろう。

辛坊治郎さんもそこのところはよくわかっているようで、「申し訳ないと」深々と頭を下げていました。当時の現場海域は、13㍍の強風と高さ3㍍以上の波があったようで、とても救助艇が着水できる状態ではなかったようです。見ると何だか不格好な機体ですが、力強さは感じます。国産と言うから、また嬉しくなりました。戦前からの技術の継承が、細々と続いていると言うのです。

この飛行機は、国産の救難飛行艇US-2と言うらしいのですが、日本から1200㎞の遭難位置まで飛んで、着水し、救助ボートで2人を救助したのです。漂流から10時間、2人の生命のぎりぎりのタイミングでの救助で、この日没直前のトライしかなかったでしょうね。

これなど、海上自衛隊員の判断と活動を高く評価するのですが、一口に言えばやはり「任務」「責務」「誇り」の結実した、やることがはっきり分かっていたことの実践とよき結果ですかね。

最初は第2管区海上保安本部(東北管轄)への救助要請でしたが、海保は直ちに海上自衛隊へ救助を委ねました。これも成功のための選択で、良かったと思います。救命艇内にも浸水があり、低体温症もはじまっていたことでしょう。時間との闘いでもあります。

昨日は37年ぶりの同級会でした。楽しい時間をありがとうございました。今日はホテルから近くの、「泉岳寺」へ出かけてみました。もう5回は行っています。言わずもがな、赤穂浪士47名をまつる泉岳寺です。

あれから300年以上経過しても、線香の煙が絶えないと言われています。私も線香を買い求め、端から平等に置いていきます。有名人の所へは、多くの線香が置かれています。人の心に強く残るものは、風化しないのですね。私も特別に教えられたわけではありませんが、忠臣蔵(ちゅうしんぐら)は心に響きます。

赤穂浪士も、松の廊下での主君浅野内匠頭(あさのたくみ)刃傷から苦悩の1年10ヶ月での仇討ち成就。任務を果たして、本所の吉良邸(きらてい)からここ品川の泉岳寺まで、3時間は歩いたのでしょうね。凱旋ですから、疲れもさほどではなかったかも知れませんが、長かったことでしょう。

吉良邸討ち入りから1時間経過し、それでも吉良上野介(きらこうずけのすけ)が見つからない。諦めかけたところに、「吉良は近くにいるぞ!」と励まし檄を飛ばした吉田忠左衛門の仕事。若い者が多い中で、彼は64歳でした。若い者と同じことをしていたのではないのです。「任務」「責務」「誇り」の結実だと思います。

最後のもう一つ。昨日も巨人は中日に負けました。電車の中でオレンジのタオルが何本かありました。親子での応援でしょう。今日も巨人軍は中日に負けました。しかし巨人ファンの私でも、山本昌投手の今季3勝目にエールを贈りたい。

彼はもう47歳ですよ。投手としての寿命はとっくの昔に終わっています。それでも山本は坦々と投げ続けています。216勝目ですから、野球殿堂入り前の焦りではないのです。楽しんで、日本一の立場を意識することなく、「使命」「責務」「誇り」の結実したよき結果でしょうね。福原愛ちゃんも、おめでとう。


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| 社長日記 | 08:28 AM | comments (0) | trackback (0) |
1年8組18番まつのくん
37年ぶりという、実に中途半端な初めての同級会でした。田舎の高松から、プロペラの飛行機に乗って東京へ行きました。そしてはじめて出会った新入生、と言いながらもう卒業生という風格の波江野がいたり、付属高校から来た橋本など、流石は東京だなと驚いた最初のホームルームでした。

60818が私の学籍番号です。頭の6は昭和46年4月入学の「6」です。明治大学政治経済学部は、最初に「政治学科」が5組くらいありましたか。その次が「経済学科」でした。残念ながらこの時は、女子はいませんでした。みんなの意見を総括して統一見解を得たのですが、クラス替えはありません。3年から短大からの編入生で、景山さんと林さんが新たに加わったのです。

景山さんは私も記憶にあります。今では驚くことはないかも知れませんが、当時としては大変な美人でした。今日の会場は、神田神保町ですが、話を聞いていると、個人的に小グループで親交の濃淡があったようです。私も死んでしまった栗川史雄(字が違う?)やそれの雇用者石原順二やとつるんで遊んでいました。

栗川史雄は石原が連れてきた

石原順二は次男坊ながら、愛知県の知多半島で瓦を作っていました。栗川が名古屋の古川バッテリーへ1年間勤務して、のちに石原の瓦会社へ転職しました。栗川の下宿へはよく行きました。彼は最初兄さんと用賀に住んでいましたが、兄さんが駒沢を卒業してからは、私の近くに確か住んでいました。練馬区です。

今日の幹事、百田省平で思い出すのは、目黒から東西線の浦安あたりへ引っ越ししました。私はレンタートラックを手配し、栗川やその他何人かで手伝いに行きました。武藤忠数もいたかな。話ししていて、そんな思い出が吹き出してきます。

残念ながら栗川をはじめ4人が故人に、7人が消息不明です。徳島のジャンボ尾崎が監修したゴルフ場の会員権を売りに来た成井茂男も、倒産後は消息不明です。私はゴルフをしないので、髙松栗林LCメンバーの何人かを一緒に回りました。



37年ぶりは、流石にすぐ記憶がよみがえることはありませんでしたが、これからが彼らとの思い出を語る日になると思います。良い1日でした。北海道から四国・九州まで揃いました。大企業へ就職して定年や子会社へ出た奴、自営して現役を続ける奴。孫がいる奴もいましたが、子供がまだ高校生というのもいました。

卒業写真ですが私もいます

おお明治われれが母校



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| 社長日記 | 08:36 AM | comments (0) | trackback (0) |
琴平での合宿香川盛和塾
今年は香川塾単独になりましたが、恒例の合宿例会です。経営の12カ条の1~4までの突っ込んだ話になりました。第1条は、「事業の意義目的を明確にする」ことです。弊社も紆余曲折がありましたが、現在は京セラの真似をして「全従業員の物心両面の幸福を追求すると共に業界の地位の向上に貢献する」という月並みなものが経営理念です。

第2条は、「具体的目標を立てる」です。これは山地代表世話人に、「そんなの社員さんに理解されますか」と弊社の目標を辛辣に指摘されました。勿論自分が作り毎日唱和しているものですから、自分には違和感がありませんでした。恥ずかしながら、社員さんらがどう思うかは、そこまでの検証はありません。

山地代表世話人は、電気設備工事を生業として、中国にも展開しています。業種は違えども、人間と接しているところは何ら弊社と変わるところはありません。大きな気づきを頂きました。やはり長年、代表世話人を経験されている塾生の気づきは質が違います。大変勉強になりました。



二次会は行きましたが、良く覚えていません。白河夜船でした。喜井塾生が隣班から割り込んできて、山地代表と同じ年とはしゃいでいたのはしっかと覚えています。彼女も頑張り屋さんで、私より年長ですが、前泊で塾長例会を追っかけています。

弊社も今、仕事の合間を縫って7月からの指針書を作成しています。もう25年くらい続いています。私の担当の部分は、もうほとんど変えることがなくなりました。いくら多くのことを書き、みんなにやってもらおうとしても、所詮は自分がやらないと伝わらないことです。率先垂範しか、思いを伝える術はありません。

ところで多くの中小企業の後継者は、先代社長の父親との葛藤に悩んでいます。私も死なないと、子供から良い方には評価されないと覚悟をしていますが、ここも大きな隘路だと最近感じています。親父を許し、親父を尊敬し、親父を愛することが出来たら、経営は飛躍的に伸びると思います。

稲盛和夫塾長も、節税を考えたら利益は縮むと言われます。従って節税などまかり成らぬと言われるのです。売上げ極大、経費極小で利益を大きく出して、半分納税してそれの残りを内部留保するのが稲盛流です。税金の払いが惜しいと思った瞬間から、利益が出なくなると塾長はおっしゃいます。その通りだと私も思います。

ここ琴平町の紅梅亭は風呂も、源泉掛け流しの温泉です。一時期琴平町の源泉から出た温泉が、水で薄められていた問題が発覚し、大騒ぎになったことがありました。ここの源泉は、この敷地内のものと書かれています。いい温泉です。

その温泉に入りながら、東京塾生の、先月中国四国塾長例会(開催地岡山)で話された経営体験談に話題が集中しました。隣県ですから、香川塾からも大勢が参加し聞き入っていました。北海道に生まれた少年の、父親は自殺母親も後に自殺。独立開業した仕事も、仲間に裏切られ、そんななかから彼は、立派な経営結果を出しています。

「あの人は親のことを悪く言うけれど、済んでしまったことは許さないと、次の世代へ悪を引き継ぐよ」と人のことを言いながら私も、母親のことは置いといても、10歳の時に夭逝した父親のことを恨んでいるのか。そんなことは意識したことがありませんが、真我の中にどこか恨みがあって、それが邪魔をしているのか。

延びない会社は、何か問題があります。日常ではなかなか気づかない問題です。いろいろなことを考えるきっかけとなった、琴平合宿例会でした。山地代表世話人様、ありがとうございます。もう一度、考えてみます。気づきをありがとうございました。



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| 社長日記 | 06:10 AM | comments (0) | trackback (0) |
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