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安倍晋三首相と菅直人前首相の愚行は
安倍晋三首相が、26日靖国神社参拝をついにやってしまった。賛否両論が飛び交っていますが、私は少し角度の違うところから、安倍晋三首相の愚行を検証してみたいと考えました。

私の考えなど、まさに愚考ですから、いつものように軽く読み飛ばして下さい。ある意味私の気まぐれ的発想と、安倍さんの発想も同根なのかも知れません。しかし私は一般人ですから、気まぐれでもさほどの迷惑をかけません。周囲5㍍くらいましてや、国益を台無しにすることなどあり得ません。

安倍晋三首相はご存知の通り、2回目の内閣総理大臣就任で、初回に比べて随分学習がなされていると私は喜んでいました。最も鬼門の靖国神社参拝も、何度かのヤマ場を耐えて、本当に大きく成長したなと感心しきりでした。しかし安倍晋三首相は、やはり靖国神社へ内閣総理大臣つまり日本のトップの立場で参拝したかったのですね。まさに餓鬼道です。

私はこの靖国神社参拝が、これから日本国民に与える脅威、それは何も中国・韓国だけではなく、同盟国アメリカをも含む、世界を相手にした「極右日本国」の汚名との戦いになると、非常に心配しています。それも僅か2時間前の通知で、抜き打ち参拝は、日本人の一番嫌う「卑怯者」の所行と何ら変わりません。

総理大臣は、私心で行動しては、国および国民に多大な迷惑をかけます。耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び行動することを要求されています。これまでの安倍晋三首相の就任1年間は、繰り返しになりますが、私は期待以上に日本国のトップとして頑張ってくれていたと思っていました。

しかしこの靖国神社参拝で、安倍晋三首相の値打ちは大きく毀損してしまいました。世界から見ると、靖国神社参拝は「極右日本国」の象徴です。安倍晋三首相の参拝することの理屈も、日本人の私にはよく分かります。しかし、日本以外では蛮行にしか過ぎないのです。

2011年3月13日に、民主党政権下の菅直人首相が、東京電力福島第一原発事故現場の視察をしたばかりに、現場に多大な迷惑をかけて、災害復旧が大幅に遅延したと言われていました。確かに「狂」と化した、菅直人首相の行動だと思いました。

また菅直人首相は東京電力本社へも押しかけて、東電職員の福島第一原発からの撤退などあり得ないと、東電役員を恫喝しました。何も私は、この菅直人首相の大活躍で東京電力福島第一原発事故が、今のこの程度で納まっているとも思っていませんが、あの時の菅直人首相の「狂」がなければ、今頃はもっともっと悪い方向へ推移していたとも考えるわけです。

私もジャーナリスト船橋洋一氏の力作、「カウントダウン・メルトダウン上下」を読むまでは、菅直人首相の愚行で、福島第一原発事故の惨状は拡大したと思っていました。しかし本を読む限りは、そうではなかったと知りました。

菅直人首相は、安倍晋三首相と違ってやりたかったことをやったのではなくて、日本のトップとして、やらねばならないことをしたように私には写ります。これまでの総合評価では、安倍晋三首相が菅直人首相を上回っていました。しかし今日の靖国神社参拝で、安倍晋三首相は、国民を人質にして世界を敵に回しました。

そしてそのツケは、日本国民の身にもひしひしと迫ってきます。消費税を値上げしてまでも、日本国の家計はまだ赤字です。こんな瀕死の重体の満身創痍の日本国が、世界の常識を相手に戦えるのですか。戦前の勝ち目のない戦争突入の判断と同じ愚行を安倍晋三首相、あなたは犯したのです。もう交代しますか。


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| 社長日記 | 02:48 PM | comments (0) | trackback (0) |
高松東LC第1164回クリスマス例会
高松東ライオンズクラブ(二見尚子会長)のクリスマス例会は、4R4ゾーンのわが髙松栗林ライオンズクラブにも響き渡るほど、豪華絢爛な例会と言われています。本日の例会会場は、メンバーがいる喜代美山荘花樹海です。テーブルも壁際にしつらえられて、真ん中に広い空間が誕生しています。

ライオンズクラブは、リジョン単位の組織で、「ひがし香川県」は4リジョンです。その中に4つのゾーンがあります。高松東ライオンズクラブは、2ゾーン所属ですから、4ゾーン所属の高松栗林ライオンズクラブとは、記念式典以外で相互交流することはまずありません。

にもかかわらず、髙松栗林ライオンズクラブからは3人が招待されています。馬場基尚氏は地区委員ですから、お呼びがかかるのは当然だとしても、矢野恵美子元会長と私は、理由がありません。それでもクラブ代表で一人参加の、高松中央や高松空港LCよりは、二人が良いですね。

会長スローガンは「つなぐ心つながる輪でWe serve」会長方針は「見える化」と例会資料に書かれています。また「三大義務」として1例会出席2会費の納入3奉仕とライオンズの憲法もさらっと例会資料の頭に書かれています。毎例会毎にさらっと周知されています。

余興が面白くて、混声合唱団「ししの声ガオーズ」はクラブメンバーの合唱でした。二見尚子さんも二世会員ですが、福島二世の指揮者もよく団員をまとめていました。続くダンスパーティーも、フラダンスから阿波踊り、AKB48に至って大変盛り上がっていました。衣装も良く出来ています。やるものだ。

やるやると聞いていた、高松東ライオンズクラブのクリスマス例会。一昨年は、第1111回例会を全員参加のビック例会にした高松東です。来年は50周年記念式典等、行事が目白押しのクラブ事情ですが、49周年50周年51周年と、三年計画が進んでいる感じがしました。

写真は明日以降にアップしておきます。





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| 社長日記 | 12:42 PM | comments (0) | trackback (0) |
高速道路での事故渋滞に巻き込まれて2時間
初めての経験で、世の中にはこんなこともあるのだなと、改めてビックリしています。高松の自宅を、自分では早めだと思っている7時に出ました。遅れると具合が悪い用件でのスタートですから、緊張気味に予定時間に出発しました。それが松山道下り車線、つまり松山方向へ順調に流れていました。

通勤時間帯ですから、車両は混んでいます。四国内の高速道路も、朝夕は混みます。多少の車線変更干しながら、私が運転する車両は順調に流れていました。隣席の原田洋一と、昨日見た高速道路での違反検挙テレビネタで、「まずいよなあれは」とか話して盛り上がっていました。

ところが突然、前の車両のハザードランプが点滅しました。隣の車線も同じです。前が何となく混んでいます。事故だと直感しました。場所は愛媛県に入ったところ、土居インターの手前です。事故現場から、後ろ200㍍くらいのところに停車したようです。

暫くして、パトカー、消防レスキュー隊、救急車などの緊急車両が脇を抜けて行きます。2車線道路の2車線共に、停まっています。事故だとすれば、昨日テレビで見たような、多重事故か。これは困ったが、初めてのことでどうなるか分からない。まだ時間的に余裕があるので、様子をみてみることにしました。

結果、現場に2時間留め置かれて、松山へは大遅刻になってしまいました。昨年からはじめている、四国中古住宅流通促進事業協議会(略称四国連携)のインスペクション第1号案件の、取引でした。幸いなことに電話で状況を説明し、善処して頂きました。

共同仲介で良かった。先の契約日に、売主買主相手不動産業者等と顔を合わせています。初めてだったら、気まずさが深刻になっています。相手不動産業者らが残代金の精算、固定資産税の精算、抵当の抹消手続き、所有権移転登記まで取り仕切ってくれました。弊社は売側不働産業者ですが、売主も寛大でした。

その後共同仲介の業者さんを訪ね、平身低頭詫びました。相手も事故のことはニュースで聞いたらしく、「大変でしたね」と気遣って下さいましたが、何ともばつが悪い限りです。30余年間仲介業をやっていますが、自らが指定場所へ行けなかったのは初めての経験です。

聞いた話しでは東京から高松へ来る予定の売主さんが、飛行機到着遅延で、昼からの取引になって焦ったとか。取引形態が多様化している昨今は、所有権移転登記を担当する司法書士も、わざわざ東京から来ることもあります。そう言えば、前日から入っていたと聞いたこともあります。

物流に果たすトラック運送システムで、高速道路の果たす役割は非常に大きいものがあります。2時間程度の遅刻で着荷の受取拒否はないと思いますが、事故車両もスーパーマーケットへの荷物を運んでいたようです。幸い単独事故のようで、散乱した段ボール箱が可愛そうに思えました。怪我が軽ければ良いのですが。



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| 社長日記 | 10:13 AM | comments (0) | trackback (0) |
致知出版社の「人間力メルマガ」-----2013年12月23日
致知出版社からメールを頂戴しています。転載させて頂いています。

本日、12月23日は天皇誕生日。第125代の明仁天皇陛下は満80歳となられました。
ところで、皆さんは普段、天皇陛下がどんなことをなさっているのか、どんなお気持ちで日々過ごしていらっしゃるのか、ご存じでしょうか。それらは一般にはほとんど知られていません。

天皇皇后両陛下の侍従長として、10年半にわたり、お仕えしてきた前侍従長・渡邉允さんが語った両陛下の知られざるご日常、胸に秘めたる思いとはいかなるものか――。

  「一年を通して働きづめの両陛下」渡邉允(前侍従長)
     ※『致知』2013年7月号 特集「歩歩是道場」より

両陛下は毎朝6時にはお目覚めになり、お二方で吹上御苑の森の中を散歩なさっています。驚くべきことに、ご病気の時を除いて、この6時起床を変えられたことはありません。普通はその日の予定に合わせて起床時間を決めたり、休みの日は遅くまで寝ていたくなるものでしょう。

しかし、1年を通じてその時間を変えないという規律を自らに課しておられる。
そこに私は、陛下の一貫した強靭な意志力を垣間見る思いがします。
私が毎朝9時に出勤すると、両陛下は既に書斎に入られ、いつもお仕事をされていました。

両陛下の1日は、本当にお忙しいものです。例えば、まず午前中、宮中三殿で宮中祭祀を執り行われた後、午後は宮殿に行かれて社会福祉関係者の拝謁や、
認証官任命式(国務大臣その他の官吏を任命し、辞令を交付する儀式)がある。

その後、新しく着任した外国大使夫妻のためにお茶会をなさり、夜は御所で、近く訪問予定の国の歴史について学者の話をお聴きになる。通常、夜10時半が御格子(陛下が御寝になること)となっていますが、たいてい両陛下はそれ以後も、翌日の行事のための資料や式典で読まれるおことばの原稿に目を通したり、外国の国王王妃にお手紙を書かれたりされているようです。

このように朝から晩まで次々と性質の異なるお仕事に取り組まれており、それが1年を通して続くことになります。両陛下がお出ましになる大きな行事や式典は、休日や祝日に行われることが多いため、5日働いて2日休むという生活のリズムもないのです。
 
そこまでしてご公務に邁進される陛下の根底にあるもの――それは「国民のために」という思いにほかなりません。陛下のその思いが一つの形として具現化される場が「宮中祭祀」です。宮中祭祀とは、陛下が国家国民の安寧と繁栄を
お祈りになる儀式のこと。

陛下の1年は、元旦朝5時半から執り行われる「四方拝」で始まります。外は真っ暗、しんしんと冷えている中、白い装束を身にまとい、神嘉殿の前庭に敷かれた畳の上に正座され、伊勢神宮をはじめ四方の神々に拝礼される。

その後、宮中三殿に移られ、「歳旦祭」を執り行われます。宮中三殿とは賢所、皇霊殿、神殿の総称で、それぞれ天照大神、歴代天皇と皇族の御霊、八百万の神々が祀られています。そこで五穀豊穣や国民の幸福をお祈りになるのです。

陛下が執り行われる宮中祭祀は年間20回程度ありますが、その中で最も重要とされる祭祀が11月23日の「新嘗祭」です。

その年に収穫された農産物や海産物を神々にお供えになり、神恩を感謝された後、陛下自らもお召し上がりになる。夜6時から8時までと夜11時から深夜1時までの2回、計4時間にわたって執り行われ、その間、陛下はずっと正座で儀式に臨まれます。

我われも陛下がいらっしゃるお部屋の外側で、同じように2時間正座を続けるのですが、これは慣れている人でも難儀なことです。私は毎年夏を過ぎると、
正座の練習を始めていました。

ある時、陛下のもとに伺うと、居間で正座をしながらテレビをご覧になっていたことがありました。やはり陛下も練習をなさっているのかと思ったのですが、
後からお聞きしてみると、陛下はこうおっしゃったのです。

「足が痺れるとか痛いと思うことは一種の雑念であって、神様と向き合っている時に雑念が入るのはよくない。澄んだ心で神様にお祈りするために、普段から正座で過ごしている」その取り組み方一つとっても、専ら肉体的な苦痛を避けたいと思っていた私とはまるで次元が違うと感服した瞬間でした。

元旦の「四方拝」「歳旦祭」に始まり、春分の日の「春季皇霊祭」、秋分の日の「秋季皇霊祭」、天皇誕生日の「天長祭」など、宮中祭祀の多くは国民の祝日に行われています。つまり、私たちが休んでいる時に、陛下は国民の幸福をお祈りされているのです。そのことを私たちは忘れてはなりません。

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| 社長日記 | 06:43 AM | comments (0) | trackback (0) |
フューチャーカレッジin高松
第27回高松冬のまつりの一環として、夢を叶えるリーダーの役割とは何だろうと考える勉強会が、高松市役所13階多目的大会議室で開催されています。日曜日でも、市役所は開けるのですね。そう言えば結婚届とか出産届、はたまた死亡届などの受理は日曜祝日もされますよね。

香川大学の八木先生の指導の下、高松冬のまつりの一環として開催されていることから、まつり主管3者(高松市・KSB瀬戸内海放送・髙松栗林ライオンズクラブ)から人が派遣されています。私も佐久間会長からのお声がけで、こうして来ています。中身は何も知りません。

一般市民へも呼びかけたようで、大学生は講師との関係でしょうが、全くの一般市民も大勢来ています。総勢80名くらいになっています。私のテーブルにも、高校の女先生がいました。彼女は大学を卒業後6年間高校の講師をして、年度末毎に教員採用試験を受け続け、3年前に正式採用になったという強者です。

この合格がこれまでの人生で、自分が一番輝いた時であったと振り返っていました。教科を聞くと、「数学」というので、それなら予備校の方が待遇も給料も良いのではないかと、テーブルの連中から言われていました。内海敦之(のぶゆき)君は市職ですが、愚息と同級生で名前も「誠之と敦之のノブユキつながり」だそうです。

最近はアパマンの世話人会へ行っても、息子の方が有名です。「××のお父さん」と言われる日がもう来ているのですね。話しは脱線しましたが、「夢」となるとその登場人物は「若者」と一括りに言われますが、私は夢は年齢に関係ないと思います。むしろ60歳還暦過ぎから、本当の夢の実現が始まると思います。

これは私の場合ですから、すべてがそうだとは言い切れませんが、自分の二十歳の頃の夢は、まず中学生の頃にパイロットになりたいという夢が、資力低下で断念せざるを得なくなりました。少し勉強をはじめたら、視力ががたっと落ちました。裸眼で1.2の要求に対して、0.7まで下がりました。

この夢のあとは、夢はありませんでした。大学を卒業したらふるさとへ帰って麺職人になることを決めていましたから、就職も人生の一大イベントにはなりませんでした。麺職人になることは、寡婦の母親との約束でしたから、夢など縁がありませんでした。

親孝行だと言われて今の「不動産仲介業」へ足を踏み入れたのですが、いつも言うように農家の婦人から「口入師」と言われて、「蔑まれ馬鹿にされた業界」と愕然とした記憶が、その後の私の夢を作ってくれました。私の夢は、「業界の地位の向上に貢献する」というものです。

夢を人に言ったら夢じゃなくなり、実現しないと言われますが、私はそんなの関係ないと全く唯我独尊です。若い頃漠然と持っていた夢と、今抱いている夢と比べたら、やはり今の方が強いです。稲盛和夫塾長も強く思えと言います。願望になり、寝ても覚めても言うようになると、達成まで辿り着くように思います。

それと還暦を過ぎると、もうあと20年です。最後がはっきりしている方が、やろうとする気持ちも現実味を帯びると思います。夢というと若者の特権のように言われますが、どっこいおっさんも夢追い人です。身体が続く限り、私はやり続けます。



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| 社長日記 | 11:01 AM | comments (0) | trackback (0) |
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