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金沢近江町市場
元禄3(1690)年 袋町の魚市場が、さらに享保6(1721)年に犀川口の市場がそれぞれ近江町に移り、併合されて近江町(おみちょ)市場の原型ができたらしい。おおよそ300年の歴史を誇る、市井の台所。何度来てもここは、活気であふれている。政治的に作られた空間であると、栗原パパと話しながら。

ここ金沢は、加賀100石の城下町。お城といい兼六公園といい、良く考えられた都市計画だと感心します。その中での「おみちょ市場」、近郷近在からの野菜・魚・果実等、生活関連物資が所狭しと並んでいる。そしてどの店も、特徴を持っています。

かみさんが贔屓にしている「石川商店のおばちゃん」は、残念ながら8月に引退したという。この人に会うのもかみさんの楽しみだったようですが、残念ながら息子さん夫婦に代替わりです。商いが小さくなっていると、女2人は残念がっていました。やはり商売は、人次第。







そもそも4人でこのあたりへ来るようになったきっかけは、私が越中八尾(やつお)「おわら風の盆」へ行こうと呼びかけたものです。おわらの里・富山県富山市八尾町は、富山平野の南西部にあり、平野から飛騨の山脈に連なる街道筋の富山県と岐阜県との県境に位置します。

八尾の名称の由来は、飛騨の山々から越中側へのびる八つの山の尾に拓かれた地を意味するといわれています。かつて「富山藩の御納戸」と称されるほど経済力豊かな町で、街道の拠点として飛騨との交易や売薬、売薬用紙の販売、養蚕による収益などで繁栄していました。

富山藩の財政を支えた八尾町民の心意気として、井波彫刻、高岡彫金、城端漆工など加賀藩の名工の作が惜しげもなく散りばめられた豪華絢爛な曳山祭(5月)などを始めとした伝統文化が数多く残っています。

この盆踊りを3年前の9月に見に来て、土砂降りの雨にたたられました。その前から女2人(もう一人いる)が専門学校の同級生だった縁で、夫がそれに付き合っています。なんとなく、富山県石川県福井県あたりを、毎年楽しんでいます。昨年はカニづくしでしたが、もう飽きました。でもこのあたりの食文化は、日本一かも知れません。

男性はNHK歌合戦チャンピオン

イチゴの三兄弟

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| 社長日記 | 09:27 AM | comments (0) | trackback (0) |
京都から福井へ2016
今日の京都は、全国高校生駅伝の舞台で、街にもそれらしい集団を見ました。昨日は残念ながら、創建450年記念特別公開大徳寺聚光院国宝障壁画を見ることが出来ず、改めて本日予約を入れてやって来ています。日頃はここになくて、国立博物館にあるとのこと。里帰りであります。

説明者の指摘が優れていて、ここにあってこそ、狩野永徳・松栄親子の力作だと私さえ思ってしまいました。庭園も、あの46面の障壁画を持ち上げています。また隣には、千利休(1522~1591・安土桃山時代の茶人。千家流茶道の開祖。和泉国堺の人。

法名は宗易。村田珠光相伝の侘茶 (わびちや)を武野紹鷗 (じようおう)に学ぶ。茶器および諸道具に工夫をこらし,簡素・清浄な茶道を大成。織田信長・豊臣秀吉に仕えて御茶頭 (おさどう)となり,天下一の宗匠と評される。政治にも参画するに至ったが,秀吉の怒りを買い自刃を命じられた。)ゆかりの重要文化財茶室「閑隠席」「枡床席」があります。

さらに千住博画伯筆書院障壁画「滝」が、平成25年に落慶した聚光院書院には、東京国際空港第2ターミナルやAPEC JAPAN2010首脳会議会場に作品が展示されるなど、世界的に活躍する日本画家・千住博画伯のふすま絵が納められています。構想から完成まで16年間を費やした大作で、鮮やかな群青から真っ白な滝が浮かび上がる姿は見るものをうなずかせる。





この大徳寺周辺も駅伝のルートとなっていて、受付前に香川県代表「小豆島」の第4区ランナーと会話が出来ました。この反面、ランナー通過まで信号が赤で、車が立ち往生でした。私たちが見たのは、午前の女子ランナーでした。

京都から高速に乗り、福井に向かいます。晴天に恵まれて、穏やかな北陸自動車道です。本日のお宿は、かんぽの宿福井です。明日はいよいよ金沢へ入ります。

万両

千両





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| 社長日記 | 08:18 AM | comments (0) | trackback (0) |
金沢兼六ライオンズクラブを追っかけるように
今日から埼玉県川越市在住の栗原ファミリーと一緒に、京都で落ち合って明日は武部金沢兼六ライオンズクラブ会長らを追っかけるようにして、金沢へ行きます。今日はマイカーですが、3時間少しで京都駅までたどり着きました。流石に土曜日でしょうか、高速道は空いていました。

しかし京都市内は、嵐山へ行きましたが、ものすごい人また人。半数は日本人以外。観光シーズンからは幾分外れているように思いますが、逆に言えば京都に観光シーズンはないのかもしれません。着物姿の若者も多くいますが、こちらも外国人が混ざっています。

日本では今年最後の三連休ですが、海外の人はどうですか、三連休は行楽に影響しているのでしょうか。海外から日本を見れば、東京・京都は有名で、必ず行く街の一つのようです。共通しているのは、いずれも若者が多いことです。われわれのような還暦過ぎのグループは、あまり見かけません。

京都へは先月も、京都賞授賞式見学で来ました。その時は秋の観光シーズンで、人の多いのは覚悟していましたが、今日は祇園までも昼間ですよ、芋の子を洗うようにと言えば失礼になりますが、仁和寺あたりも人であふれていて、「ビックリぽん」。京都という街の、ポテンシャルの高さに改めて驚かされました。

北陸新幹線も、敦賀から小浜経由で京都へ接続のようです。こうなれば京都への人の流入は、まだまだ加速すると考えられます。私は、カジノなどのIR構想には反対ですが、仮に大阪に万国博覧会の開催が決まり、カジノが大阪に誕生するなら、京都・大阪は今以上に人の集まる街になることでしょう。

最後に「臨済宗大本山天龍寺」の法堂(はっ とう禅寺で,住持が修行僧に教えを説き,指導にあたる建物。仏殿の後方にあり中心的なもの。他宗の講堂にあたる。)の雲龍図について触れておきます。

過去には、日本画家・鈴木松年画伯の筆になる「雲龍図」が描かれていました。これは和紙に描いて天井に貼られていたため損傷が激しく、修復不可能となり、新たに平成12年秋に開山夢窓国師650年の遠諱の記念事業として耐震性も考慮して修復されました。

これは平成になって、加山又造画伯が法堂の天井中央、直径9メートルの円相の中に躍動するみごとな龍は、厚さ3センチの杉板159枚を張り合わせ、全面に漆を塗り、さらに白土を塗った上に直接黒色で、「八方睨み(画像などの目が,どの方向から見てもその方向を見ているように見えること。)」で描かれています。これは一見の価値がありますよ。







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| 社長日記 | 08:15 AM | comments (0) | trackback (0) |
高松冬のまつりの焼き芋
今年で最後の高松冬のまつりで、高松栗林ライオンズクラブメンバーが焼き芋を公園内で販売しています。2個で300円。もう10回以上、L喜多俊雄やL小竹 彰、L佐久間勝、L松田展和らベテランと、L長尾光春とL石川昭二の若者も寄り集まって25日の最終日までやります。

昨日は大雨で、焼くのも大変売るのも大変な初日でした。別に高松栗林ライオンズクラブは警備とか、本部詰めなどありますが、いろいろありましたが、これで最後です。野外でのイベントは、雨が大敵ですが、これも考えようで、雪が降るより「ツイてるツイてる」。

昨日は小欄にも書きましたが、高松栗林ライオンズクラブ第1300回例会、高知黒潮ライオンズクラブ第1334回の合同例会でした。黒潮LCは、高知でも別働隊が例会をやっていて、スカイプでつないで高松での例会風景を同時配信していました。年寄りもなかなかやるものです。

総勢120人前後の参加を頂き、大変盛り上がりました。そして私も初めてでしたが、ホテルパールガーデンの地下にラウンジ「セリナ」があってここが中山芳彦社長のお気に入りだとかで、ゆったりした贅沢空間でした。責任者の眞鍋博子さんは、気立ての良い器量よしでした。

本日は朝から各方面から慰労の電話を頂戴して、恐縮でございます。ライオンズ関係各位はまた周年記念例会などでお目にかかります。遠路来高頂き有り難うございました。


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| 社長日記 | 06:20 AM | comments (0) | trackback (0) |
30回冬のまつり高松栗林LC第1300回例会&高知黒潮LC第1334回合同例会
この30年間の高松の夜空を輝かせてきた、高松冬のまつりの第30回点灯式が22日高松中央公園で行われた。高松冬のまつりは、今年で最後になりました。惜しまれながら、まだ余力を残しながら少し格好をつければ、「老兵は死なずただ去るのみ」。

各界から大勢の参加を頂き、特に高松紫雲LCや高松北LCのように、自らのクラブの例会を公務欠席しながら最後の冬のまつり例会に参加して下さったみなさん、また高知黒潮ライオンズクラブは高松で例会をしながら、スカイプで高知の例会会場と結んでの合同例会でした。感謝に堪えません。

また圧巻は、島原LCからの出席3人です。長池洋七会長はじめ、松尾錦二さんと林田正剛さん。高松冬のまつり第5回は、島原普賢岳の大噴火でこども達が落ち込んでいた年でした。そのこども達10数人を、高松冬のまつりの点灯式の舞台へ上げたのです。失礼ながら田舎のこども達は、それこそ目を輝かせていました。

その時の責任委員長が、松尾錦二さんでした。25年経過しましたが、あのときの感動は、30回の冬のまつりの名場面であり、私のライオンズクラブクラブライフの集大成でした。当初PTAのルートでこども派遣を模索しましたが、やっぱりライオンズクラブルートしか、ものになりませんでした。たかがライオンズ、されどライオンズ。ライオンズクラブの偉大さを痛感した、そんな瞬間でした。

冬のまつり例会の最後で、高知黒潮ライオンズクラブや岡山後楽ライオンズクラブ、島原ライオンズクラブと金沢兼六ライオンズクラブの姉妹クラブの他、高松周辺のブラザークラブが大勢来てくれました。毎年クラブ訪問をして、チャリティー募金をしてくれた仲間です。高松栗林ライオンズクラブの出来ることなら、何でも言って下さい。必ずお返しをします。



特に地区ガバナー真鍋隆ライオンには、公務多忙の中、臨席を賜りありがとうございました。そして私の大反省ですが、松前龍宗元地区ガバナーにお声がけをするのを失念しておりました。紙面を借りて、誠に失礼しました。私は2度目の幹事ですが、3度目があるなら、必ず元地区ガバナーをお呼びします。



また思いを込めた感謝状を、16個人団体に贈りました。一枚一枚文面を作り、高松栗林ライオンズクラブのメンバー16人が壇上で相手16人に読み上げて、一つ一つ思いを込めて贈りました。紆余曲折がありましたが、受け取った御仁は一様に驚いていました。富士マーク製作所さんの作品です。冨さん社長さんありがとうございました。



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| 社長日記 | 09:50 AM | comments (0) | trackback (0) |
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