2013,08,25, Sunday
山陰島根県の豪雨の一部を、高知県の早明浦ダムに頂けたら、島根の災害も軽減できるし、香川県下の水不足も解決するのにと複雑な気持ちで「ゲリラ豪雨」の報道を見ています。一体どうなっているのですかね。自然界は、もう取り返しの出来ないほど疲れているのでしょうか。
確かに香川県の水源の高知県早明浦ダムは、非常用発電の水源も生活水に廻すなど、非常事態にあることは否定できません。この高知県早明浦ダムから、徳島県の池田ダムを経由して香川県の西端から「香川用水」が始まります。香川用水を用いて、ここから東端の引田町まで配水システムが出来ています。 いまから5年程前に、途中の宝山池(人工池)が完成し、多少の貯水が出来るようにはなりました。しかしそれでも、フル稼働となると半月の供給が出来るかどうかの容量です。逆に言うと、毎日の使用量が多すぎるのです。香川用水の配水システムは万全ですが、肝心の源水が不足となると、配水では補えない状態です。 また本日は父親茂の51回忌です。あれからもう51年になります。私が10歳、茂は37歳でした。ここから私の死生観が始まります。残るは母親です。母に万一のことがあると、自分も妹も生きていけない。それまでの1日1日を、笑って楽しく明るく生きるということをモットーとしました。 その母が今年2月に没し、私は還暦過ぎて妹はおばあちゃんになりました。正直ここまで母親が頑張ってくれるとは思っていませんでした。今年は母親の新盆供養でお盆まで賑やかでしたが、父親の命日も、私にとっては忘れられない日です。 あの日(葬儀)は、とても暑い日でした。体感では、今年の猛暑よりもっともっと暑かった。今のようにエアコンはありません。もっともエアコンだけの問題ではなかったとも思います。大勢の人が遠くからも来てくれていて、悲しみより、楽しみが一杯のように思っていました。愚かな自分です。 父親が他界した時、私は10歳ですからそう多くの記憶はありませんが、なぜか一つ鮮明なものがあります。めったにないことですが、妹の惠三子と4人で近くの映画館「香川座」へ行くことになりました。最初で最後の出来事でした。 先に行けと父がいうもので、3人で香川座へ行って、映画を見ました。映画の中身は全く覚えていませんが、売店で売っている「田楽」が楽しみで、甘味噌だれのこんにゃくが私の大好物でした。これを食べて、私はご機嫌でした。 父親の姿は、最後までありませんでした。急ぎ帰ってみると、作業をしていました。確かにそれは、良い作業だと幼い私にも理解が出来ました。父も麺職人でした。うどんを茹でる釜へ、供給する燃料(木くず)を貯めておくスペースづくりでした。 これまでは木工所から持ち帰った、子供の等身大ほどのドンゴロス(麻袋)から焚き口に木っ端を入れていました。讃岐弁では、「くえる」と言います。その燃料「木くず(木っ端)」のドンゴロス3本が入る木の枠を作っていました。 今の私は、作業と映画のどちらを選択するかと考えることもありますが、勿論私も父親と一緒の「作業」と言うだろうと思います。しかしその時は、何で家族4人の輪の中に父親がいないのか、全く理解できず、私は父親をなじっていました。 とにかくよく働く両親でした。今日はお盆からこちら久しぶりに墓参をして、ただ手を合わせるのみでした。綺麗に掃除がされた花筒には、溢れんばかりの雨水が貯まっていました。思わず笑ってしまいました。この二日間雨が降って、本当の慈雨になりました。それでも早明浦ダムは、量にしたら30ミリです。 |
2013,08,24, Saturday
サンメッセ香川小会議室で、今年2度目のオーナーセミナーを開催しました。担当の川田が孤軍奮闘、頑張って集客してくれています。第一部セミナーは、「初めてのエンディングノート」と題して、司法書士香川法務事務所司法書士門馬良典さんの登場です。
「エンディングノート」は今の流行で、あなたの生きた証とこれからの希望を書き留めておきましょうというアクションです。このアクションは、ある面では、会計事務所やコンサルタント会社のニュービジネスの誕生とも考えられます。つまり単なる流行だと、言えるかも知れません。 また、最低限度の意思表示である「遺言」にプラスして、家系図やプロフィール、自分史を書いてみることで、これまでの人生を振り返り、これからの人生をどう過ごすのかを考えるきっかけにもなります。 私などは周りに迷惑をかけ散らし、言いたいことはこの日記に書いたりして鬱憤を晴らしています。あえてエンディングノートに書きとどめることはありませんが、それでも宮脇書店へ立ち寄った時に、改めて手に取ってみたいと思います。 エンディングノートが話題になり始めた初期の頃、書店で見たことはありましたが、このように説明を受けた後は、やはり思いが変わるものです。人間の反応というものは、その場その時によって、随分変化するものですね。 書き込む項目(内容)にはいろいろあるようですが、司法書士門馬良典さんによると1.家系図、プロフィール、自分史、これからの夢2.自分の資産と負債3.相続・遺言書・財産の管理4.病気や介護状態になった場合の措置5.葬儀や墓6.家族や大切な方へのメッセージ7.もしもの時の連絡先etcとあるようです。 第二部セミナーは、「失敗しない遺言書の書き方」藪内行政書士事務所行政書士藪内哲也でした。お二人とも常務のお付き合いがある先生で、私は初対面でした。私のチャンネルでない専門家の話も、後ろで聞いていればなかなか面白いものでした。新しい人脈になれば、有難いことです。 遺言書の話しは月並みと言えば月並みですが、相続のセミナーへ行くと必ず言われることに、「相続対策の順番」があります。相続対策と言えば多くの人が、「相続税対策」と思いがちですが、①相続分割対策②相続税納付対策③相続税対策の順番です。私も現場の第一線で相続案件に対峙していて、この順番は実感します。 平成27年1月1日死亡者の相続から、財産の基礎控除額が変わってきます。現在は、5000万円+1000万円×相続人数ですが、3000万円+600万円×相続人数に変更が決まっています。こんなことを書けば、1日でも早く死ねという家庭はないと思いますが、寂しいことです。 それでも相続税納付者は、現在の死者数×4%から僅か2%増えて6%程度で納まると推定されています。94%の家庭は心配ないことであります。死んでまで税金を取るのかとも言えますが、死んだ人からではなくて、相続人つまり濡れ手で粟の後継者の負担だと考えたら、分かりやすく納得出来るかなと思います。 少なくても法人税など、中小企業にあっては国が何か手助けをしてくれて利益が上がったと言うことは皆無にもかかわらず、儲けた利益の半分を国等は徴税します。ここに脱税節税の発想が生まれるのですが、至極当然だと思います。しかしまた反面、納税した残りの利益を賽の河原の石積みのように、コツコツ積むしか企業を強くする方法がないことも自明の理です。 相続税は、相続人の受取費用と考えて納税して下さい。また相続税対策の一つとして、海外に住居地を移す人もいるようですが、親が子供らのことを考えて財産を海外に移すことは、百歩譲って容認できたとしても、己の住民税等節税のために海外に住居地を移すことに対しては、あくまでも合法で個人の自由ですが、日本へ帰って来た時は1日○万円の負担をして貰いたいものです。 今の時代生活に困って海外に住居を求める人より、大金持ちが節税目的で海外へ出ることが多いと思います。いまの日本国の税制をみたら、節税も心情的にはよく分かりますが、大金持ちが税金を払わないのは困ります。 互助の精神が家庭を支え、会社を強くし、社会に潤いを与えインフラ整備が出来るのです。市民税も払わない人は、横断歩道も渡って欲しくないのです。確かにあなたの儲けは、あなたの誰にも負けない努力の結果ですが、社会インフラも多少の貢献はしたと私は考えています。 |
2013,08,23, Friday
公益社団法人香川県宅地建物取引業協会元副会長安野公尚氏の、受賞記念祝賀会でした。JRホテルクレメント高松飛天で、100名を大きく超える人を集め、賑々しく開催しました。というのも私も発起人の1人で、主催者側になります。受賞理由も、もちろん不動産業界に身を置き、業績が優れていたからです。
私も開会の辞で、「公益社団法人香川県宅地建物取引業協会元副会長安野公尚先輩の旭日双光章受賞記念祝賀会」の開会を宣言しました。そうなんですよ、安野さんは、われわれの先輩なのです。27歳から今日まで45年間不動産業界で活躍をされて、協会では総務部長や副会長の要職を歴任されています。 私も、どのようにして褒章や叙勲を頂けるのか知りませんが、今回の安野公尚氏旭日双光章も日下雅彦会長の推薦があったからこそのことだと拝察しています。安野さんが現役役員として活躍した頃は、第二の不動産の波が怒濤のように押しかけた頃です。 安野さんの挨拶の中にもありましたが、契約書等の作成が自筆からワープロへ、紙情報がインターネット化した時代です。今でもその傾向はどんどん進化していますが、最初の扉をこじ開けるのにはそれなりの時代の要請があったとは思いますが、大きな抵抗もそれ以上にあったことと拝察します。 安野さんはそのような怒濤の時代に、香川県不動産青年同好会(現REG香川県不動産同友会)を数人で結成され、現在までこの会のメンバーが公益社団法人香川県宅地建物取引業協会の執行部で頑張っています。私も4代会長丁度安野公尚さんの時に、入会を許された経緯があります。遠縁にあたることも、多少の考慮があったのかも知れません。 というのも開業当初の私は、誠幸麺業と誠幸不動産の両方をやっていました。ペーパードライバーみたいなもので、試験に合格しただけの全くの初心者でした。安野さんは2代目ですから、初心者の私の発言に失笑していたことでしょうが、その後大勢の会長らに役職を頂き、これを一つ一つこなしながら、今のような生意気な口をきくようになってしまいました。 安野さん自身がREG香川県不動産同友会で磨かれたと言われたように、いやそれ以上に私もここで育ちました。故植本義明氏、日下雅彦氏、杉野温氏、石原和夫氏、石川芳洋氏、槇野正男氏、広田氏、星野尾数馬氏、岡崎進氏、橋谷氏、白川氏まだまだ沢山の恩人がいらっしゃいます。 いちいち列挙すると漏れがあって怒られそうですが、本日は私の受賞ではありませんので、漏れ等があってもお許しを頂けますよう、お願い申し上げます。 大勢の皆さん、ありがとうございました。 |
2013,08,22, Thursday
昨日の盛和塾関西地区塾長例会の次、つまり今日は8月塾長例会後の海水浴です。海水浴などと言う実に陳腐な国民的行事ですが、盛和塾ではここ数年、エキスカーションとして海水浴が定着してきています。稲盛和夫塾長も、海に入って泳ぎます。
それを囲んで塾生も動きます。私も昨年、海水浴へ参加しました。昨年は確か大分塾の主催でした。その前は新潟でしたか。海水浴当日、9時頃ホテルからバスが出ます。大体12時前後に目的地に到着して、昼食になります。そこにはなぜか手巻き寿司が待っています。 それはそうです。場所が海ですから、当然新鮮な海鮮食が出てきます。それをめいめいが手巻きにします。多く食べる人、ほんの少ししか食べない人、みんなが満足します。そして夕方から夜は、これまた恒例のバーベQです。その後花火も、盛り上がりをもう一つ盛り上げます。 そんな海水浴へ行かず、本日京都から帰ってきました。途中で武下重美仏生山商工会会長から電話を頂きました。「はい髙松にはいません」、武下さんも呆れていました。いい加減な男(自分)は、宅建協会事務局からの電話にも怯えます。「○○議員に電話してくれましたか」「したで9月14日は日程調整や」「違います。副会長に頼んだのは23日の祝賀会の祝辞です」「ゴメンなすぐお願いするわ」。 こんな会話は日常茶飯事、私もうっかりが多くて、周りに大変迷惑をかけています。四国全域宅建業者3,500人を巻き込んで中古住宅流通促進などやっていたりしますが、本質は己がエエ格好したいからではないか。確かにそれもあるでしょう、否定はしません。 しかし業界の地位の向上は、そんなエエ格好程度の小さなことではありません。もう5年もすれば、「相続」に関する心配事相談事は、宅建業者へという世間の常識の意識革命が始まります。私はそう信じて、これからの毎日1日を、働いて参ります。 本題のイチロー鈴木さんの、日米通算4,000本安打は凄いとしか言いようがありませんが、彼に学ぶべきものは数多くありますが、私が学んでプラスになると直感することの一番は「心のありよう」です。彼の体は柔らかいことで有名ですが、心はもっと柔軟なようです。考え方一つで、物事の本質の見え方が違ってきます。 イチロー鈴木さんの、「4000本の成功の陰には8000回の失敗がある」という彼の発言に、私は驚くのです。また「初動負荷理論」に基づいた専用のマシンでトレーニングをしていると「今まで筋肉が固くなっていたのに、逆に柔らかくなる」と言い切ります。 「マシンで神経と筋機能を鍛えているから、反射機能も衰えるどころか年々発達している。けがが大きくならないのも体の能力」とマシン開発者は分析をしている。やることが明確で、それを毎日3~5回繰り返し、打席に立って神経を集中させる。もちろん守備でもそうです。 いつだったかイチロー鈴木さんが記念日に、「今日は帰ってビールが飲める」というのを印象的に覚えています。特別な日にだけ飲酒をする。それ以外はアルコールも口にしない、ストイックな節制が彼のからだとこころをつくっているのでしょうか。おめでとうございます。感動ありがとうございます。 |