2017,03,20, Monday
第89回選抜高校野球大会が、兵庫県の甲子園で開幕しています。そして連日、好ゲームが続いています。昨年の今頃は、高松商も選抜大会に出場し、バスで高松と甲子園の間を行ったり来たりしていました。今は昔、文字通り夢のような第88回甲子園大会でした。
しかしあのチームが特別で、普通の「高松商野球部」が苦戦が予想されながら本日20日春の大会の初陣を飾りました。秋の大会が投手陣倒壊で、編成し直して公式戦に臨みました。長尾健司監督に聞いても、「投手がね」と昨年までとは違う返事でした。 また抽選の結果、高松商は昨年の県大会活躍から今年シード1位校ですが1回戦から強豪「大手前高松」との対戦です。結果はエース松岡志祐投手が被安打6、死球1で完封し、貧打と言われながら高松商が4点をもぎ取って、初戦突破です。終わって見れば、貫禄勝ち。 打線は1回裏に、5番の藤川の中前打でまず1点を先取。4回にも1点を奪取し、5回は4番朝倉佑哉と藤川の連続長短打の1死2、3塁から6番佐々木が2点適時打を打って、試合を楽にしました。見ている方も、この2点で「今日は行ける」と確信しました。 高松商は、松岡志祐投手が長尾健司監督の期待以上の活躍で完封。一方大手前高松は、宇良投手が5回、アンダースローの黒部が出たものの死球で坂本に変わり、最後は佐治投手が投げていました。夏に向けていろいろ試していた試合でした。 明日は雨が予想されていて、試合時間が2時間延長しています。順当に進んだとしたら、25日(土)10時からレグザム球場で、香川西と高松北の勝者と2回戦を戦います。次は28日(火)10時から、相手は三本松だろうと思います。 大手前 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 6 0 高松商 1 0 0 1 2 0 0 0 × 4 11 1 |
2017,03,19, Sunday
香川県下の23クラブの、昨年7月からの新入会員とクラブ3役プラス会員委員長を集めた新入会員オリエンテーションが、19日午後から高松国際ホテルで開催されました。私もL塩田博志が4Rリジョンチェーパーソンの年は、このオリエンテーションの進行役をやっていました。
今日は、小豆島LC所属の西崎博史ライオンが司会役でした。また本日は、オリエンテーションのみならず、「指導力育成研究会」が併設されています。これは、私の記憶では初めてのことです。最近のライオンズクラブは、なんだかよく分かりませんが少しずつ変化しているように感じます。 先の3月4日(土)岡山市で開催されたライオンズクラブ「若手フォーラム」での話しも、何かこれまでと違うものを感じました。それを受けて、次の例会で、テーブルディスカッションをして5年後の高松栗林ライオンズクラブのありたい姿像を語ることにしています。 今日の地区名誉顧問・FWTエリアリーダ松前龍宗元地区ガバナーの話しは、さらにライオンズクラブが変革していることを感じました。これまでのライオンズクラブの第1奉仕活動は、視力ファーストでした。世界中から、盲目をなくすヘレンケラーの意思を貫くキャンペーンでした。 それが新たな奉仕ターゲットとして、アンケート結果表出した「糖尿病予防」をあげています。糖尿病患者の90%は2型であり、これは予防可能な病気であります。2型糖尿病の予防や軽減には、健康的な食事、適度な運動、適切な体重管理、禁煙が有効であると言われています。 糖尿病の1型は、高松栗林ライオンズクラブがこれまで35年間支援してきた「小児糖尿病」です。これは幼少期の予期せぬ高熱などで、膵臓が破壊されたためにインスリンの排出ができなくなって、注射など体外から摂取することを求められる糖尿病のことです。 世界における糖尿病有病率は9%もあり3億4,700万人、世界のDALYの19位を占め(1.3%)、2012年は150万人が糖尿病により死亡しています。糖尿病による死者の8割は中低所得国であり、さらにWHOは2030年には世界第7位の死因となると推定しているところです。 私は今年25年ぶり2回目のクラブ幹事をやっていますが、ライオンズクラブ国際協会は変わって来ています。日本人も積極的に本部役員へ就任し、アメリカ中心の運営が結成100年を迎えて随分変わりつつあると実感します。 ところでこれまで私のなかで、ライオンズクラブ界の謎だったことが今日判明しました。1952年(昭和27年)私が生まれた年の3月5日、日本初の東京ライオンズクラブが結成されて、日本は世界で35番目のライオンズ国となったのです。 東京ライオンズクラブをスポンサーしたのは、私も知っているフィリッピンのマニラライオンズクラブ。フィリッピンでは、まだ第2次世界大戦での日本兵の行為に対する禍根が残り、市民の半日感情は強かったと思います。とてもフィリッピンから、ライオンズクラブが日本へ伝播するとは思えない状態でした。 しかし東京ライオンズクラブの誕生後、神奈川県・横浜、兵庫県・神戸、大阪と次々とライオンズクラブが結成され、1953年には日本に302地区が誕生し、初代地区ガバナーには日本ライオンズクラブの誕生尽力したL石川欣一(東京ライオンズクラブ所属)が選出されました。 この石川欣一氏が、当時毎日新聞の記者としてマニラへ赴任していました。マニラライオンズクラブは、ハワイライオンズクラブのスポンサーで誕生しています。つまり戦争の禍根を残す中で、ハワイからマニラを経由して東京へ来たのです。 やはりそこには、人間関係があったのだと思います。ライオンズクラブは、ロータリークラブの活動に飽き足らなかったメルビン・ジョーンズによって1917年シカゴで産声を上げて今年100年になります。変わるライオンズクラブを、今年機会あるごとに感じています。 3月21日(火)は、いよいよ浜田恵造香川県知事の講師例会です。ライオンズクラブで先に大西秀人高松市長を呼び、21日には知事をお呼びして生話を聞く機会を得ました。たかがライオンズクラブ、されどライオンズクラブ、なんだか機会あるごとに一層身近に感じるようになりました。 |
2017,03,18, Saturday
文部科学省が2月に示した改定案では、小学校5年生からだった英語を3年生からに前倒しするという。良いことですね。この年になって、英語がしゃべれないのは、なんとしても恥ずかしい限り。YOU(外国人)とは、できるだけ目を合わさないように努力しているわたし。
なんと小さな人間かと、自分が情けなくなる。東京などでは右も左も分からないが、高松であれば、ホテルやうまい店やYOUが探している公共施設も大概教えることができるだろうに、困っていそうなYOUを横目に逃げている自分は、なんとおろかなのか。 3、4年生の英語は「聞く・話す」が中心の「外国語活動」で、5、6年生では教科として「読む・書く」も学び、当然成績評価もされることになります。還暦過ぎたこの年になって、フィリッピンへ語学研修へ行く話も話題として身の回りでささやかれている。 3ヶ月程度の英語漬けで、日常会話の英語は身に付くらしい。アメリカや、オーストラリアに比べてフィリッピンは、そのレッスン費用も滞在費も破格に安いと聞く。実際に行った人の話でも、実益があったと聞いた。 学習指導要領のその他変更としては、小学3~6年で週1コマ増える授業は、短時間学習などの弾力的な時間割編成になるとか。ここには、世の中の仕事紹介や、100歳まで生きる前提のライフプランや、ファイナンシャルプランも紹介したら良いのではないか。 何のために、何歳まで生きて何をするのか、早い時期に考えさせることが、卒業してから「プー太郎」の世界にはまらない一策ではないか。その他、小中学校の社会科では、竹島(島根県沖の島町)と尖閣諸島(沖縄県石垣市)を初めて「固有の領土」と明記する。 私は、北方領土も日本の立場を明記すべきだと思います。この類いの記述は、歴史的に諸説あってもそんなの関係ないのです。自分の国が正しいと信じるところを書けば良いのです。それを第3国にとやかく言われても、国内の日本人向けの教科書じゃないですか。 昨今アメリカの西海岸の都市でも、韓国の「慰安婦像」が設置されている。アメリカへ渡った韓国人の2世3世が、地方議員として政治に深く関与している。もはや日本人街よりも、韓国・中国人の街が増えている。そこでも幼くしてすり込まれた、学習指導の歴史史観で動いているのです。 教育は大切です。戦後左翼化した教育スタンスを、正しい中間位置に戻さなくては、自虐的歴史観が跋扈することになります。森友学園籠池泰典元理事長が言うように、「教育勅語」の中身に確かに優れた、後世へ伝えて行きたい内容があると思います。 |
2017,03,17, Friday
喪主長男松熊秀樹さんの挨拶で、松熊義美さんは3月14日行年78歳で生涯を閉じたと知りました。突然の訃報に驚きました。私とのご縁は、徳島からのテナント進出の店舗共同斡旋からですが、サン建設興業が宅建免許を私が地区長をしている高南地区で取得していることも。
公益社団法人香川県宅地建物取引業協会では高南地区、一般社団法人香川宅建では高南支部という使い分けです。全国唯一、香川宅建には2つの組織が、車の両輪のように補い合って機能しています。不働産情報誌を、一般社団法人香川宅建で制作販売しています。これが公益性と認められないことから、苦労が続きます。 松熊義美さんは、地区総会へ必ずと言って良いほど出席してくれていました。ある年などは、質問が出て少しだけ会場がざわついたことがありましたが、松熊さんの一言で収まったこともありました。22歳で建設業の独立開業ですから、強烈な個性をお持ちの経営者でした。 歌が好きで、自らが歌手デビューの一歩手前まで行ったと聞きました。同じく喪主の挨拶の中で、「父親が生涯大切にしていたのは、人のためということ、お客様や従業員はもちろん、地域の方々のためにできることはないかと、日々探し求めていた」と長男秀樹さんは言う。 今年で20年になるという「TAG会(高松エアポートエリアグループ交流会)」を平成9年1月につくり、毎年1月に新春芸能発表会を開催しています。私もここ数回参加していますが、11月早々には翌年1月の発表会の正式招待状が届きます。その位、すべてが計画的前倒しです。 また芸能に飽き足らず、ゴルフでもハンディーシングルの腕前でホールインワンも達成しています。自ら松熊工業50周年誌(平成23年10月発行)に、波瀾万丈の人生と書き記しています。告別式で(50周年)記念誌を頂くのは、私も初めての経験です。 葬儀委員長三笠輝彦市議の弔辞にもありましたが、私も同誌の冒頭の「お前は、婆娑羅(ばさら)小僧だ」という下りが印象的でした。丸亀市が毎年、婆娑羅祭りを開催しています。あれは丸亀藩京極家の先祖に、京極道誉という人物がいて、能楽・狂言・連歌・生花・茶道・華道などに優れていたとか。 何物にもとらわれず、自由で、大胆な発想と行動を人々が「婆娑羅大名」と評し、京極家の伝統になったという。自由奔放な松熊義美さんの言動が、この婆娑羅魂になんとなく似ているところがある。しかし大名とは言えないから、婆娑羅小僧と言うのだそうだ。 最後に、故人が所属されていた高松葵ライオンズクラブについて書いておきます。影響力の大きい松熊さんは、当時10数名のメンバーを引き連れて退会したと聞いております。幹事も会長も経験し、レオCLUBやネスCLUBまで作ったのですが、大量退会も仕掛け人は松熊義美さんでした。 私もなぜか見たことのある平成2年の1月11日、田村神社での第459回例会は、46名のメンバーが記念写真に収まっています。元衆議院議員真鍋光広氏の顔もあります。懐かしいメンバーですが、松熊義美さんは平成7年7月56歳で退会されています。23年間も在籍していたミスター葵、クラブの重鎮でした。ご冥福をお祈りしております。 |