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高松栗林ライオンズクラブ第1312回今期最終例会
第54期最終例会が、聖地ロイヤルパークホテル高松B1で、地区ガバナー真鍋隆ライオンをビジターにお迎えし、L川北哲の入会式とアワード贈呈など、盛りだくさんのいろいろで54期らしい最後を飾りました。

同時に反省として、L金井優典の御尊父の葬儀告別式が三松グループの社葬として18日に執り行われました。次期幹事と事務局と私が受付に出たのでしたが、会員への周知が十分でなく、とりわけ本日の例会で残務取り込み中の喪主L金井優典が「お礼の挨拶」をされたのですが、メンバーが盛り上がっていたため、彼の気持ちが届いたかどうか。

82歳会歴4年の浮田和也会長と25年ぶり2度目の幹事、ベテラン2度目の会計のL北村昌史の3役でしたが、結論として崖っぷちから脱出することが出来たと思います。今期11名の入会でしたが、退会も3名出てしまいました。2名が病気原因ですが、毎年の高齢化が進む中、退会はやむを得ないとある程度覚悟せざるを得ない。では。

7月からの来期第55期は、54名(家族会員除く)でスタートします。本日の例会に、見学の女性がL矢野恵美子の紹介で来ています。来期入会目標は5名と、L増田宗樹次期会長は遠慮気味でしたが勢いづいた会勢を、46歳という若い会長にゆだね60名の壁に挑戦して頂きたい。

今期入会者と地区ガバナー真鍋隆ライオン

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| 社長日記 | 10:21 AM | comments (0) | trackback (0) |
全宅管理第2回業務企画委員会2017
つい数日前に、全宅管理19支部協議会が開催され、各県担当者がどうしたものかと腐心していた懸案が、先進県の成功例を拝聴し、自分たちにも出来るのではないかと心を強くしたところでした。何も「メリット」がないという理由で、期末にかけて退会者が続出しています。

全宅管理という組織は、「消費者」と「会員」のためにあります。会員のためのメリットは、ないのではなくて知らせていないのです。周知は総務委員会の縄張りですが、その新ネタを次々に、「全宅管理御用達」仕様に仕上げていくのが、業務企画委員会です。

今期は佐々木正勝専務理事が会長に就任されて、岡田日出則さんが専務理事に就任しています。この2人の連携がよく出来ていて、2人とも水を得た魚のように、生き生きと新手を考えています。内容は公表出来ませんが、「あっと驚くような」新しいまだどの組織も手にしていない新ネタが誕生間近です。関係者はこうご期待あれ。

不動産仲介業、10年後はどうなる?AI(人工知能)やロボットが進化すると、この先10年でなくなる恐れがある職業は?なんと「不動産仲介業」もその中に含まれているのです。オックスフォード大学のオズボーン准教授らが、「雇用の未来」という論文の中で衝動的な報告をしています。

要するにこれからの不動産仲介業は、賃貸管理業とのコラボなくしてはもはや成り立たなくなっています。土地建物価格は下落の一途、仲介報酬は減るばかりです。そして今年仮に1千万円の売買仲介報酬があったとしても、来年も再来年もあてになりません。

それに引き替え管理業収入は、今年仮に1千万円あったとしたら急に来年がゼロにはなりません。900万円か800万円は、新手を取り入れなくてもほぼ手にすることが出来ます。努力次第では1,100万円になるかも知れません。

これからの全国宅地建物取引業協会連合会(全宅連)10万社の明日は、全宅管理(全国賃貸不動産管理業協会)の浮沈に係っているというのが佐々木正勝会長の主張です。もちろん私も同感です。ストックビジネスの誕生が、明日の不動産仲介業を拓きます。

また最近の一般的組織論になりますが、リーダーのありようが組織の命運を決めるように感じています。明日が最後の高松栗林ライオンズクラブ例会ですが、地区ガバナー真鍋隆ライオンが臨席されます。彼もライオンズクラブ100年の歴史が産んだ、次のリーダーです。私は、素晴らしい明日のリーダーの薫陶を受けています。


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| 社長日記 | 03:51 PM | comments (0) | trackback (0) |
中国と韓国は息を吐くように嘘をつくby高山正之
ここまで書いて良いのかいと、思わず表紙を見直す私です。月刊誌「正論」(産経新聞社)の連載コラム「折節の記」(2015年三月号~2017年五月号)掲載の文章に加筆・訂正して上梓したものですが、見せかけの後ろにある「意図」を見抜く手伝いができれば幸せだと高山正之氏は書いている。

儒教に呪縛された中韓のタチの悪さに、ようやく世界は気がついた。彼らがわめけばわめくほど、その品のなさに、驚きあきれるしかない。1942年東京生まれ、都立大学を卒業して産経新聞社に入社している。産経新聞は、読売新聞よりさらに右寄り思想といわれている。中国・北朝鮮から、入国禁止となっている。



160ページからの「ルーズベルトの仇をトルーマンがとった」で、ルーズベルトは真珠湾(日本軍の真珠湾攻撃)で250人くらいは死ぬと思った。それくらい死なせばどんな国とも開戦に持って行けた。で、彼は西海岸にあった太平洋艦隊をわざわざ真珠湾に持っていった。それを囮にして日本が奇襲をかけるのを待った。

250人と読んだのは真珠湾の水深が14mしかなかったからだ。航空機から発射された魚雷は通常40m沈み込む。つまり浅い真珠湾では雷撃は出来ない。あとは急降下爆撃だが、日本人は近視の上におぶって育てられるから三半規管が異常で「急降下は出来ない」と考えられていた。

しかし日本機の放った20発の魚雷のうち19発が米艦隊の横腹に大穴を開けた。急降下爆撃も高高度爆撃も巧みで、戦艦アリゾナはその直撃弾を受けて沈んだ。先進安全自動車は2800人を数えた。予想の10倍を超えた。自国民を自分のペテンで、ルーズベルトはそんなに殺してしまった。

そして最大の読みの違いは、真珠湾の翌日から日本本土を爆撃して、短期間で降伏させるはずだったB17「空飛ぶ要塞」だった。この爆撃機は、ドイツの最優秀機メッサーシュミットですらまだ一機も落としていなかった。それどころかB17は、逆に独戦闘機をバタバタ落としていた。

まさにスーパー爆撃機なのに、初めて見るゼロ戦に片っ端から落とされてしまった。即座に日本を敗る計画は、泡と消えた。米国はゼロ戦に勝てる戦闘機を生み出すまで3年もかかった。その間に日本は欧米の植民地を解放し、アジアの民は手を上げて哀れっぽく命乞いする白人を目撃した。白人神話は、音を立てて崩れ落ちた。

米国ルーズベルトが勝手に日本と戦争をし、結果、大事な植民地を失った英仏蘭は、ルーズベルトを責めた。俺たちの植民地を、取り戻せと。米国は物量で日本を倒すのに問題はなかったが、それでは「日本がアジア解放に殉じたヒーローになる」だけだ。

白人神話と植民地の復活は不可能だ。ただ、マンハッタン計画(原爆製造)が成功すれば話は違ってくる。そしてそれは、ルーズベルトが脳溢血で死んだ3ヶ月後に産声を上げた。後任のトルーマンは躊躇なく原爆を使った。

米国が神の如く太陽の光を地上に再現したとき、野卑な三流国家は白人国家のリーダーに昇格し、第三世界の上に白人神話を再臨させたと思った。原爆は白人の権威を取り戻す偉業たったと、彼らは信じている。

このようにあからさまに、世界津々浦々の事情を書いている。偏っているとも感じるのですが、私も読売新聞から産経新聞へ変節したもので、このくらいの書体が好きです。昨日の小欄の「バブル」も面白かったが、これもなかなかの作品です。ただし、あくまでも私の主観ですが。


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| 社長日記 | 07:48 AM | comments (0) | trackback (0) |
日本迷走の原点バブル1980-1989 by永野健二
何かの記事で、表題本の紹介をしていました。これまでにも「昭和バブル回顧録」のような本は沢山出ています。私も当然全てに目を通した訳ではありませんが、過ぎ去った夢が懐かしい的なものと、「誰か」の責任だという犯人捜しの本が多かったと思います。

本書も、その類いと全く質が別だとは言い切れませんが、私は先に小欄にも書きましたが、2度読みするくらいの迫力のある力作だと感じました。当時のことを、国内の経済社会面からも海外の政治経済の歴史からも顕彰を加えている。また登場人物についても、実に丁寧な扱いがなされている。その中からアトランダムに、いくつか紹介する。

1980年代後半に、日本はバブル経済を経験しましたが、バブル経済とは好景気のことではない。特定の資産価値(株式や不動産)が実体からかけ離れて上昇することで、持続的な市場経済の運営が不可能になってしまう現象をいう。

グローバルな資本主義はおよそ10年周期で危機をくり返し、政府のコントロール能力を弱体化しつつ、不安定さを増している。その端緒といえる87年10月19日のブラックマンデー、グローバル化が進んで、世界の金融・証券市場が一体化したことを象徴する事件だった。

それから10年後の97年にアジア通貨危機が起こり、ヘッジファンドの雄、ジョージソロスがロシアやタイの通貨で巨額の富を得る。また10年後、08年リーマン・ブラザーズの倒産を引き金とした金融システムの危機は、世界がもはや危機においても一体であることを示した。

そして16年、中国の株価暴落に端を発した世界経済の混乱は、英国のEU(欧州連合)離脱という予想もしない事態を前に、一段と混乱の度合いを深めている。それでも、世界のグローバル化と金融化(カジノ化)に歯止めはかからないし、かけることも出来ない。

80年代のバブルの増殖と崩壊とは、戦後の復興から高度成長期、つまりアメリカへのキャッチアップの過程を、日本固有の資本主義=渋沢資本主義によってなんとか乗り越えた日本が、70年代前半のニクソンショック、変動相場制への移行、そして73年の第1次オイルショックという世界経済の激動のなかで直面した第二の危機であり、変革期の産みの苦しみであった。

日本は新しい仕組みや制度改革を先送りしてごまかしたことで、第二の敗戦ともいうべき大きな痛手を被った。その大きなツケを支払う過程が、「失われた20年」といわれる、バブル崩壊から現在まで続くデフレ状況である。アベノミクスというのは、80年代のバブルの時代の失政を償うための経済政策でもある。

「上げるところで金利を上げなかった日銀の罪」「機関投資家に株を買うように誘導した大蔵省の罪」「不動産融資にのめり込んだ銀行の罪」「特金・ファントラをリスクなき財テクのように扱った事業会社の罪」「会社の価値を収益ではなく含み資産で計算した証券会社の罪」。

バブルの起点である86年から30年がたった。日本は「失われた20年」を経て、デフレという一見当時とは逆の環境にあるようにも見える。しかし何かあの頃と、80年代と似たものを感じている。投資用マンションに、異常なまでの人気が集まっている。

87年はNTT株公開とブラックマンデーの年であり、92年は株式だけでなく土地も含めたバブルの崩壊がはっきり確認された年である。その間に日経平均が最高値38,9575円をつけた89年12月29日の大納会が挟まっている。

今になって振り返れば、この日は、まさに日本の戦後システムにとっての「敗戦記念日」。日本の戦後の経済史の中で、いやもしかすると世界史のなかでも、第二次世界大戦後のもっとも重要な転機に、著者永野健二氏は日本経済新聞の記者として活躍されていた。

あとがきで著者は「バブル」とは、何よりも野心と血気に満ちた成り上がり者たちの一発逆転の成功物語であり、彼らの野心を支える金融機関の虚々実々の利益追求と変節の物語である、と書いている。

そして変えるべき制度を変えないで先送りしておきながら、利益や出世には敏感な官僚やサラリーマンたちの、欲と出世がからんだ「いいとこ取り」の物語である。そして最後には、国民ぐるみのユーフォリア(熱狂)である。


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| 社長日記 | 09:42 AM | comments (0) | trackback (0) |
2017国際食品工業展
6月15日東京滞在の空き時間を利用して、一般社団法人日本食品機械工業会が東京有明の東京ビックサイト東全ホールを利用して「FOOMA JAPAN 2017」を主催していました。それを野次馬気分で、見に行きました。しかし猛省、参加企業は必死で私など邪魔になるだけでした。

食品機械の最先端テクノロジーや製品、サービスなどを通して「食の技術拓く、豊かな未来」を提案するアジア最大級の展示会のようです。私は前日のTV報道で知ったのですが、インターネットを通じて事前予約が出来て入場料1千円が無料、招待客も含めてですがウィークデーで毎日2.5万人ほど集めて3日間の開催です。

1978年から今年開催で40回目、今年の出展社は過去最大の775社で、新規出展は84社となっています。また国際化への取り組みを積極的に推進し、中国・台湾・デンマークの3カ国パビリオンを出展するほか、海外バイヤーを多く招聘しているようでした。特に欧米系の顔が多く、目に入りました。

私のような食品素人には、動きのある商品製品が面白く、野菜の皮むきとか刻み、材料の撹拌から移動など、AIを利用したものも出始めています。大きすぎて搬入出来ないものは、映像を使って視覚に訴えています。また、イベントコンパニオンを揃えているブースもありました。名刺と交換で、ノベルティーも数多く用意されていました。

TV報道では、自動で「ジャガイモの芽」をとる機械が紹介されていましたが、私は東大阪市のポンプ製造メーカーの映像が印象的でした。原料はステンレスやアルミと聞きましたが、その成分中身は社外秘。鋳鉄のように、鋳型に入れて鋳造していました。1,600度の「湯」が、鋳型に注がれています。

印象としては、どこかの企画会社が全体を請け負っている感じがしました。流石に舞台が東京ビックサイトとなると、平日でも入場者が引きも切らない。むしろこういう対象層限定展示会では、週の半ばが企業人は、出やすいのだろう。

こういう風景を見ていると、外国製品の展示もありましたが、「Maid in japan」日本製ここに有りと胸をなで下ろします。多くの製造業が国外に工場移転をしていますが、食品に関しては「省力化」によって製造コストを下げようと各企業、売る方も買う方とも必死にもがいているように感じました。頑張ろうニッポン


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| 社長日記 | 08:40 AM | comments (0) | trackback (0) |
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